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第二次世界大戦中に日本海軍が開発した、モーターボートに爆薬を搭載した特攻艇「震洋」
を格納していたとみられる洞窟(どうくつ)が、東松浦郡玄海町の外津湾岸で見つかった。
同湾には本土決戦を想定した震洋特別攻撃隊が県内で唯一あった。実際に出撃することは
なかったが、終戦直前の1945年5月から約3カ月間、189人の隊員が訓練を行っていた。
洞窟は今月上旬、湾南西部での町道の建設工事中に見つかった。高さ約3メートル、幅
約5メートル、奥行き約10メートル。終戦後に埋め戻され、実際は奥行きが30メートルほど
あったとみられる。住民も動員して掘られたとみられ、洞窟の存在は戦後も住民の間で
伝えられていた。
震洋の搭乗員として外津湾に配属された石川信昭さん(79)=唐津市旭が丘=によると、
震洋は入り江の奥の洞窟などから出撃し、本土に上陸しようとする敵艦に体当たりすることが
目標とされ、日本各地の沿岸に基地が造られた。外津湾には2人乗りの「震洋五型」が25隻
配備。小型のベニヤ板製モーターボートの先端に約250キロの爆薬を搭載し、自動車用の
エンジンを使った。
約50人いた搭乗員は湾内の数カ所に存在した洞窟からトロッコで震洋を運び出し、外湾津内
などで訓練。石切り小屋だった建物を兵舎として使った。震洋は終戦後、湾内に沈められた
とみられる。■以下省略
URLリンク(www.saga-s.co.jp)
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