07/03/16 17:22:17 0
聞き取りは、元慰安婦が圧力を受けない環境で非公開を条件に実施されたという。
何とか溝は埋まらないのか。頭を抱えたが、得心がゆく気がしたのは「宣撫」という言葉を聞いた
時だった。「占領地で政策の目的・方法を理解させて人心を安定させること」を意味する。
慰安婦の出現にはいくつか理由があるが、兵士の暴行で高まった反日感情を抑えるのがその
本質だったというのである。駐留軍の性犯罪が住民の激しい反発を買うことは、現代人にも実感
できるだろう。
また問題が当事国でなく米国で火が付いたことで思い出したのは、ゼミで聞いた国連人権
小委員会委員の横田洋三さんの話だった。
元慰安婦らが求める請求権は国家間の平和条約や2国間条約で放棄されているというのが
古典的な国際法の考え方だが、個人の請求権については議論の余地がある。人権の普遍性は
場所を超え、国を超え、時代を超えるから、第二次大戦中のことは解決済みというのでは説明が
つかないというのが講義の趣旨だった。
今回改めてうかがうと、米議会の背景には、非政府組織(NGO)の動きがあるとしたうえで
「人権に関心のある人々がグローバルに活動する時代が来たことを示す出来事。国家を超えた
市民の連帯に応える政策を作らないと、問題はいつまでも続くだろう」と横田さんは指摘した。
慰安婦問題をめぐる米メディアの報道には、たしかに首をかしげる点がある。河野談話をくんで
アジア女性基金が設立され、政府と国民が責任を分かち合う新しい形の補償が行われた。
<いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われた
すべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます>と率直につづった橋本、
小渕、森、小泉の歴代首相のおわびの手紙はもっと認められていいだろう。
肝要なのは、加害者としての「慎みの心」だと思う。解散会見後に一般の拠金者も参加した
アジア女性基金・感謝の会は年配者の姿が目立ち、歳月の流れを感じさせた。彼らの努力と
限界を見つめ、私もできることから始めるつもりだ。(以上、一部略)