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戟地に駐屯する連隊・大隊には、必ず衛生部があり軍属の経営する慰安所が付いて回った。
ほとんどの兵士が言語も出来ず他に行くところもなく、また回りじゅう敵だらけで精神的に追い込まれ、兵舎と売春宿との往復だけであったので需要が多く国内から連れてきた売春婦だけではすぐ間に合わなくなり、朝鮮の婦女子を強制徴別した。
またフィリンピン、台湾、香港など南方の女性も駆り出されこれにあてられた。
売春やどの主体はこれらの人たちである。
強制的な徴収を行ったので戟後五十年になっても、未解決の国際間題となっている。
軍人は戦地において7警備日ごとに1日休養したが慰安婦たちは毎日無休で兵士と相手させられた。
公の記録によると、一人で一日平均約40人の兵士を相手にしている。
食事する隙もなく慰安所の経営者(軍属)が握り飯を枕元に配って歩いた。
普通一等兵は月額五円の給与であるが、海外手当・戦時手当が加算されて約二十円。性行為が一回三円から五円、
日本人以外の慰安婦は、その半値以下。但し軍属などに部屋代、警備代、食事代などで巻き上げら約3割弱が売春の手取りであった。
休日の兵士は、衛生兵から性病に対する注意を受け一人に一個ずつコンドームをもらい慰安所に駆けつける。長蛇の列を作り、軍靴、軍服を脱ぐ隙もなく行い、数分で終わってしまう。
少しでも時間が長いと、次の順番の者が廊下で扉を蹴ってわめき続ける浅ましい光景で有名であった。
なお、将校用のクラブにも同様の施設があったが将校の給与は月額30円程度で女性も別、話もまったく別である。