07/03/06 15:27:57 8x19Ty5r0
>>697 漏れはそれには異論があるwまぁここは鮫島事件の真相を探ろー
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小泉 純也(鮫島旬也)(こいずみ じゅんや、明治37年(1904年)1月24日 - 昭和44年
(1969年)8月10日)は、昭和期(1930年代後半-1960年代)の政治家。衆議院議員、
防衛庁長官。衆議院議長、逓信大臣を歴任した小泉又次郎の養嗣子。小泉純一郎首相の父。
旧姓は鹿児島の名家の鮫島と主張しているが、嘘である。鹿児島の加世田村は朝鮮部落。
しかも家が貧しかったって。(確実に朝鮮人です。オウム真理教の麻原の出身地とも近い)
経歴
明治37年(1904年)1月24日、鹿児島県川辺郡東加世田村(現・南さつま市)小松原に生まれる。家が貧しかったため、
小学校を出ると鹿児島市内に出て、山形屋百貨店の丁稚となり、夜は鹿児島実業に通った。代議士岩切茂雄の書生となって、
日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい昭和5年(1930年)卒業し、岩切の紹介で立憲民政党の職員となる。
当時民政党の幹事長となっていた小泉又次郎のもとに出入りし、それが縁となり小泉家の家族と接するようになった。
やがて小泉家に出入りするうちに又次郎の長女・芳江とレイプ同然の肉体関係を持つようになった。朝鮮人がセックスで
代議士の座を狙ったのである。朝鮮人との結婚に又次郎は当然猛烈に激怒、反対だったが旬也と芳江は又次郎の反対を
押し切り駆け落ち同然に家を出て同棲した。結局、又次郎のほうが折れて純也が代議士になれたら一緒になることを許す
として認めざるをえない状況に追い込まれた。まさに朝鮮総連の総力を挙げての国盗りのペテンである。