07/03/01 20:22:15 0
>>1の続き
「昔の日本的なもの」という枠組みに、より親和的であるおじさん世代が、日本的なもの
を再評価するのは理解しやすい話ですが、日本的なものが薄れたはずの若者が、日本的
なものへと回帰しようとしている状況は、首を傾げるしかありません。
◆おじさんと若者は求めるものが根本から違う
そのヒントを先日取材した18歳の女の子が教えてくれました。彼女に「今、世の中で何が
起こってほしい?」と尋ねた時です。彼女は真剣な顔でこう答えました。
「うーん、そうだなぁ・・・。私は“バブル待ち”してます」
18歳の彼女には、バブル時代の実体験はないはず。にもかかわらず、バブルの再来を
願っている。彼女は身近な大人やメディアを通じて、バブル期のど派手で楽しかった話を
知ったのでしょう。ちょうど今の10代の親はいわゆる「バブル世代」に当たるので、親から
バブルの話を聞いたのかもしれません。そして、実態を知らないバブルという虚構に依存
しているのです。
そんな時に「バブルへGO!!」なんてタイトルの映画が制作されたのでびっくりしました。
まるで若い彼女の願望を知っているかのようなタイトルです。
彼女の例は、ほんの1つのサンプルでしかありませんが、バブルを待つ彼女と、国家意識
を高める若者には共通点があるのではないかと思います。国家もバブルも、若者たちに
とっては分かりやすい枠組みなのです。日本人の人生に典型的なモデルや型がなくなり
選択肢だけが増え、幸せの方程式が見えにくくなった今、若者が自ら新しい枠組みを
探し出すのはとても難しい。自ら作り出すのはもっと難しい。だから、実体験がなくても、
過去の良かった時代に憧れ、その時代にあった国家という分かりやすい枠組みや、バブル
という日本が良かった時代に自分を当てはめてホッとする。少し安易で後ろ向きな理由
が、若者の日本再認現象には隠れているように感じられます。 (以上、抜粋)