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・外国籍ゆえに年金制度から閉め出されてきたオモニたちの悲痛な訴えは、司法には届か
なかった。23日、地裁であった「在日高齢者無年金訴訟」の判決は、立法府の裁量を広く認め、
原告の請求を棄却した。植民地時代、幼くして朝鮮半島から日本に渡り、生き抜いてきた在日
コリアン1世の原告たち。「どこまで私たちを苦しめたらいいの」。
原告団長の玄順任さん(80)は、障害を持つ二男と暮らしながら、今もなお自宅で西陣織の
帯をつくり、生計を立てている。1日12時間、立ちっぱなしで機を織る。機械の音で耳も悪くした。
それでも月収は、二男の生活保護などと合わせても15万円程度。1週間注文がない時もある。
「同年代の人はもう引退してる。年金もらえたらね、仕事辞めて普通の老後を送ってますよ」。
植民地時代の1926年、朝鮮半島の忠清南道に生まれた。1歳8か月で来日。西陣織の仕事は
14歳から始め、職歴はもう65年を超えた。この間、貧困や差別など様々な苦労を重ねた。
昨年9月の口頭弁論で思いの丈を訴えた。
「戦時中は『非国民』、戦争が終わったら『国が違う』とは、あまりにも虫が良すぎる。なんぼ
働いても苦しいし、借金も返さねばならない。残り少ない私の人生を助けて。最後の死に土産に、
年金を下さい」。
原告5人のうち、金君子さん(79)(宇治市)はこの日、仕事の都合で判決に立ち会えなかった。
85~89歳の3人は生活保護を受けて暮らしている。年金の助けもなく、苦しい生活が続く。
閉廷後、京都弁護士会館(中京区)であった報告集会では、弁護団や支援者らから「結論ありきで
血が通っていない」「国際的な人権感覚にそぐわない」と批判の声が上がった。原告が「勝訴する
まで、命をかけて戦う」と決意を表明すると、拍手が起こった。
今井直・宇都宮大教授(国際人権法)の話「判決は、救済措置の政治的責任についてすら言及
しておらず、差別の問題であるという観点に立っているのか疑問。国民年金法改正前も後も原告ら
への差別が続いているという、歴史的経緯に想像力を働かせてほしかった」(一部略)
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