07/02/22 16:59:38 oLp3jRyl0
こう考えるんだ。 恋愛も市場原理主義が支配していると考えるんだ。
経済学の世界に、合理的期待仮説というのがある。
つまりなんだ、ある政策に対してすべての人間が合理的に行動した場合、その政策の効果はすべてうち消されて消滅するという理論だな。
「可能性として起こりうるすべての現象は、すでに市場の現状に反映されて織り込み済みである。よって、いかなる手段を持ってしても市場を
出し抜くことは出来ない」
というのが合理的期待仮説の導く結論ですな。
ついでにこの仮説の結果、「道に千円札が落ちていることはあり得ない」という結論が導かれる。
「道に千円札が落ちているとしたら、誰かがすでに拾っているはずである。よって、千円札のようなものが道に落ちていたとしても、それは千円札では
あり得ない」
という結論だな。
ところが、ある本に書いてあったが、「合理的期待仮説は、ゲームの参加者が合理的期待仮説を信じないことによってのみ実現する」という
パラドックスがある。
つまり、「道に千円札が落ちていることもある」と信じる人がいないと、誰も道に落ちている千円札を拾う人がいない。逆に、道を通る人が全員
「道に千円札は落ちているわけがない」と考えていると、誰も拾わないので「千円札が落ちっぱなしになる」という事になって合理的期待は実現しない。
「市場を出し抜くことが出来る」と誰かが信じてくれないと、市場を出し抜くことが出来ない最適市場は存在しないと言うわけわからん状態になるわけだ。
恋愛市場において合理的期待仮説を導入すると、こういうことになる。
「もし強欲でオニババではないまともな女性がいたとしたら、すでにイケメンが押さえて結婚しているはずだ。だから、現時点において独身の女性は
すべて強欲なオニババであるに違いない」
これが合理的期待仮説に基づく理論となる。よって、「独身女性はすべて負け犬オニババなので結婚するに値しない」が毒男側の最適戦略になる
という主張ですな。
BY.竹中平蔵