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石射猪太郎氏 近衛内閣の外務省東亜局長「外交官の一生」中公文庫版 P332~P333
『南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事から
の電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の
日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、
取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜら
れた。一九三八(昭和一三)年一月六日の日記にいう。
上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられ
ぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召
中尉であった。部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼のごとくふる
まった。何か言えばすぐ銃剣をがちゃつかせるので、危険で近よれないらしかった。
私は三省事務局長会議でたびたび陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の
粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量の
暴行なので手のつけようもなかったのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳
にしなかった。当時南京在留の外国人達の組織した国際安全委員会なるものから日本
側に提出された報告書には、昭和一三年一月末、数日間の出来事として、七十余件の
暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、
臨月の女も容赦されなかったという記述は、ほとんど読むに耐えないものであった。』