07/02/03 02:52:50 Wu1/sDET0
これを何の疑いも無く真実と思えるやつだけが「従軍慰安婦(軍による強制)」
があったと信じ込める。
##以下はすべて黄錦周(ファン・クムジュ)さん一人による証言です。##
黄錦周(ファン・クムジュ):韓国政府公認の自称従軍慰安婦、ナヌムの家在住
(1)「生活は貧しく12歳の時100円で売られてソウルの金持ちの家で小間使い。1938年に威鏡南 道ハムン郡で
女中をしていた時にその家の娘の身代わりとなって満州に連行され慰安婦となる」「従軍慰安婦と戦後補償」高木健一著)
(2)国連・経済社会理事会 クマラスワミ報告 1996年1月4日 17歳のとき、日本人の村の指導者の妻が、未婚の朝鮮人
少女全員に日本軍の工場に働きに行くように命じました。そのとき私は労働者として徴用されたのだと思いました。
URLリンク(www.jca.ax.apc.org)
(3)「私は19歳で学校を卒業する25日前に日本軍に引っ張りだされ仕方なく慰安所に行ったんだ!」(TBS「ここが変だよ日本人」より)
(4)[日韓社会科教育交流団韓国を訪問]1997.夏期 「満18歳になった時のある日、男がやって来て村から娘を出すように伝達をしました。」
URLリンク(www2.nkansai.ne.jp)1
(5)元日本軍「慰安婦」の証言を聞く集会 1997年12月5日 村の班長(日本人)に「一家に一人は行かなくては」と脅かされ、
1941年、二十歳で国を離れましたが、ついた所は慰安所でした。
URLリンク(www1.jca.apc.org)
(6)「黄錦周さんの証言を聞く会]2001.07.17東京大学にて 「14歳のとき、いわゆる「少女供出」で満州に連行され、皇軍兵士
のセックスのはけ口にされたつらい体験を語りました。」
URLリンク(www1.jca.apc.org)
(7)「元慰安婦ファンさん、4000万ウォンを奨学金に寄託」2006.11.28 18:10:11中央日報 1924年に咸境道(ハムギョンド)で
生まれたファンさんは17歳の時、日本軍に連行され、興南(フンナム)のガラス工場で働き、20歳の時に間島(カンド)に連
れて行かれて慰安婦になった。
URLリンク(japanese.joins.com)