07/01/27 04:20:43 4cTk6IIMO
喪失した天皇記が古墳あたりで見つかれば確実に書いてあるはずだが、中国の文献からも半島は日本にこんな古くから属国していた↓。
日本第一次百済は、「西暦315年」に、帯方郡の漢人・倭人が大和朝廷の支援を受けて、
“日本領”=任那の北部地域(漢城とその周辺)に建てた自治領である。
前年の314年に、高句麗の侵攻によって帯方郡を滅ぼされた旧帯方郡出身の漢人・倭人たちによる「亡命政権」が
第一次百済である。 これに対して第二次百済は、西暦475年に第一次百済が高句麗に滅ぼされた後、
倭人の文周王が、大和朝廷の支援の下で西暦475年に任那領の熊津に建国した国であり、完全な倭人国家である。
そして百済民は天皇の臣民でも有った。
> 好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
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■好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致
古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、
倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが、中国社会科学院
の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする
「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。
好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。