07/01/22 01:44:07 FPjxuD3h0
極東国際軍事裁判判決
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「中国兵のほとんど全部は、市を撤退するか、武器と軍服を棄てて国際安全地帯に避難したので、
一九三七年十二月十三日の朝、日本軍が市にはいったときには、抵抗は一切なくなっていた。
日本兵は市内に群がってさまざまな残虐行為を犯した。目撃者の一人によると、日本兵は同市を
荒し汚すために、まるで野蛮人の一団のように放たれたのであった。
目撃者達によって、同市は捕えられた獲物のように日本人の手中に帰したこと、同市は単に組織
的な戦闘で占領されただけではなかったこと、戦いに勝った日本軍は、その獲物に飛びかかって、
際限のない暴行を犯したことが語られた。
兵隊は個々に、または二、三人の小さい集団で、全市内を歩きまわり、殺人・強姦・掠奪・放火を
行った。そこには、なんの規律もなかった。多くの兵は酔っていた。それらしい挑発も口実もないのに
中国人の男女子供を無差別に殺しながら、兵は街を歩きまわり、遂には所によって大通りや裏通りに
被害者の死体が散乱したほどであった。
他の一人の証人によると、中国人は兎のように狩りたてられ、動くところを見られたものはだれでも
射撃された。
これらの無差別の殺人によって、日本側が市を占領した最初の二、三日の間に、少くとも一万二千人
の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した。
多くの強姦事件があった。犠牲者なり、それを護ろうとした家族なりが少しでも反抗すると、その罰として
しばしば殺されてしまった。幼い少女と老女さえも、全市で多数に強姦された。そして、これらの強姦に
関連して、変態的と嗜虐的な行為の事例が多数あった。多数の婦女は、強姦された後に殺され、その
死体は切断された。占領後の最初の一カ月の間に、約二万の強姦事件が市内に発生した。」
日本兵は、欲しいものは何でも、住民から奪った。兵が道路で武器をもたない一般人を呼び止め、体を
調ベ、価値のあるものが何も見つからないと、これを射殺することが目撃された。非常に多くの住宅や
商店が侵入され、掠奪された。掠奪された物資はトラックで運び去られた。」