07/01/09 05:37:59 yj0hSMlH0
>>402
ヤルタの)密約の実行をスムーズにするために、ソ連共産党の有名なファッショ総書記スターリンは、
東トルキスタン共和国の指導者グループを北京の会議に参加させるとの名目でモスクワ経由の飛行
機に乗せ、1949年8月にモスクワで殺害してしまった。このとき殺害されたのは、アブドゥケリム・アッ
バソフ、アフメットジャン・カスムらであった。東トルキスタン共和国は中国共産党政府にプレゼントされ
たのである。
URLリンク(www.uygur.org)
1949年、中華民国を国共内戦で駆逐した中国共産党政府(中華人民共和国)は、中国共産党人民解
放軍を新疆近くに進駐させた上で、「イリ政府と交渉を行う」としてイリ政府首脳陣を北京で開催される
中国人民政治協商会議に招く。しかし8月27日、イリ政府首脳陣5名(東トルキスタン人民共和国議長、
元帥、副元帥、外相など)が乗ったソ連の飛行機はソ連領内アルマトイを離陸した直後に墜落、全員死
亡した(当初の発表は飛行機が消息不明)。居残った有力な指導者イサ・ユスフ・アルプテキンはトルコ
へ亡命した(1995年イスタンブールで死亡)。
※実際には、中国共産党はイリ政府訪中団に対し、イリからソ連邦領内のアルマトイ(現カザフスタン
首都)へ行き、ここからソ連の飛行機に搭乗して北京へ向かうよう指示。ソ連は5名をモスクワに連行し
てKGBによって拷問・殺害したことが判明する(拷問を担当したKGB職員の手記)。
首脳を失ったイリ政府は中国共産党に服属せざるを得なかった。9月26日には新疆省政府も中国共
産党政府に服属することを表明。1949年12月、中国共産党人民解放軍は新疆イリ地区に進駐。東ト
ルキスタンは中華人民共和国に統合された。だが編入の過程に国際法上の問題がある為、「現在の
中華人民共和国による東トルキスタン領有は違法・無効である」と主張する人々を中心に、東トルキス
タン独立運動は続いた。
URLリンク(sekitori.web.infoseek.co.jp)