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★日米開戦最後通告 外務省が公電を改竄 大使館に責任転嫁?
昭和16年12月の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れ、米国から「だまし討ち」と非難された
問題で、戦後、この最後通告の公電が改竄(かいざん)され、外務省が編纂(へんさん)した公式
文書「日本外交文書」が誤ったまま収録していたことが29日、分かった。外務省は「公電の原文
がない」と説明していたが、産経新聞の調べで国会図書館に保管されていたことがわかり、判明
した。原文にある「14部に分割して打電する」とした重要部分を削除したもので、「在ワシントン
大使館の怠慢による手交遅れ」との通説に一石を投じることになりそうだ。
削除されていたのは、最後通告の打電を知らせる901号電の2項部分。原文では「右別電ハ
長文ナル関係モアリ全部(十四部ニ分割打電スベシ)接受セラルルハ明日トナルヤモ知レサル
モ…」となっている。
ところが、終戦直後の昭和21年2月付外務省編纂「外交資料・日米交渉・記録ノ部(昭和16年
2月ヨリ12月マデ)」に収録された901号電の手書きの写しでは「(十四部ニ分割打電スべシ)」の
部分が削られていた。
日本外交文書はこれを基に平成2年に出版され、外交史研究などの基礎資料になっている。
公電の原文は、最後通告電が計14通送られてくることを大使館側が事前に承知していたことを
裏付けている。
開戦当時の日本外交を研究している元ニュージーランド大使の井口武夫尚美学園大名誉教授に
よると、当時電信事務では、全部で何分割されたか分からない状況では、電信担当官を帰宅させて
はならなかった。逆に事前に14通あることが分かっていれば、残り1通だけを待って徹夜させるのは
行き過ぎ、という。
実際、ニューヨーク在住で当時の大使館員で唯一生存する吉田寿一・元大使館電信担当官も今年
9月、井口氏に「最後の14部目がいくら待っても来なくて、ひたすら電信室で待っていたが、午前3時
過ぎに、あと1通だけで山が見えたから、上司に、数時間でも朝まで帰宅して休むよう指示された」と
証言した。(>>2以降へ)
産経新聞 (2006/12/30 09:05)
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