【書評】「マルクスの亡霊たち」 [著]ジャック・デリダ [11/7]at NEWS5PLUS
【書評】「マルクスの亡霊たち」 [著]ジャック・デリダ [11/7] - 暇つぶし2ch1: ◆Robo.gBH9M @ロボ-7c7cφ ★
07/11/07 12:36:29
★マルクスの亡霊たち [著]ジャック・デリダ
[評者]巽孝之(慶應大学教授・アメリカ文学)

■ゴシック・ロマンスに似た感動
マルクス=エンゲルス共著の『共産党宣言』(1848年)冒頭は、誰もが知っている―「亡霊が
ヨーロッパに取り憑(つ)いている―共産主義の亡霊が」。

そしてシェークスピアの『ハムレット』(1600年頃)冒頭が「誰だ?」の一言で始まり、第一幕
第五場にて元国王である亡父と対面したデンマーク王子が「時代の蝶番(ちょうつがい)が
外れてしまったのだ」と呟き、第三幕第一場の名独白冒頭へ続くことも、誰もが知っている
―「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」。

フランス系ポスト構造主義思想家デリダの後期代表作は、250年ほども隔たるこれらふたつの
テキストを一気に接ぎ木してみせるという、驚くべき離れ業で幕を開ける。しかも、西欧形而上学の
歴史においては、比喩として以外まともに取り上げられることのなかった「亡霊」が中心
テーマなのだ。なぜか?

本書のもとになったのは、カリフォルニア大学リヴァーサイド校にて1993年4月に行われた
会議の講演草稿であり、同年中に公刊された。当時といえば、1991年に米ソ冷戦が終結し、
アメリカを中心とした自由主義が覇権を握り、先代ブッシュ大統領が新世界秩序の構想のもとに
湾岸戦争を行った時代。1992年11月に選出されたクリントン大統領に政権交代してもなお、
グローバリゼーションの名の下に世界のアメリカ化が続き、マルクスと共産主義は、まったくの
過去の遺物として葬られようとしていた時代であった。

折も折、ヘーゲル学者コジェーヴの学統を継ぐフランシス・フクヤマが、冷戦解消直後、1992年に
『歴史の終わり』を刊行して、ベストセラーとなる。もともとコジェーヴは、戦後アメリカにおける
マルクス主義的「共産主義」の最終段階は人間を動物性にまでおとしめると断言したが、1959年の
日本旅行をはさんで軌道修正し、そうした歴史の終わりにはさらに風流な、よりスノッブな極致が
あるのであり、それこそは日本的な「ポスト歴史性」だと考え直す。

デリダはそうしたコジェーヴの解釈をシニシズムに彩られた楽観主義と一蹴、その理論を発展させた
フクヤマもまた、人類の一貫した方向性のある歴史がテロリズムやホロコーストを経由しても「結局は
リベラルな民主主義へ導く」と断定した点において軽率で、情状酌量の余地が少ないと批判する。
というのも、民主主義とはとうに実現している制度であるどころか、たえず事実と理念とのあいだで
失敗し隔たりをもち、「その間隙のなかでしか現れることのできない約束の理念」すなわち「来るべき
民主主義」であるからこそ有意義なのだから。存在するか存在しないかのどちらかではなく、存在か
非在かを決定するぎりぎり手前のところで踏みとどまる思考の水準において、「亡霊」が
特権化されている。マルクスの『資本論』第1巻(1867年)冒頭は商品の使用価値のみならず神秘的
性質を洞察したが、そこに斬新なる亡霊の理論を適用することで最大の批評的クライマックスを
迎える本書は、あたかも上質のゴシック・ロマンスにも似た感動を与えるだろう。


Spectres de Marx
増田一夫訳/
Jacques Derrida 1930~2004。仏の哲学者。邦訳書に『エクリチュールと差異』
『声と現象』など多数。

[掲載]2007年11月04日
URLリンク(book.asahi.com)


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