07/10/06 16:13:58
□ルーマニア革命戦士日本でアニメプロデューサー転身
あのチャウシェスク政権を倒した男が日本でアニメを―。ルーマニア生まれの
ギャルマト・ボグダンさん(38)がプロデュースしたアニメ「はたらキッズ マイハム組」
(テレ朝系、日曜・前6時30分)が7日から始まる。壮絶な半生を経て、母国から遠く離れた
日本で実現したアニメ作りの夢。ボグダンさんは「日本人のモノづくりの素晴らしさを伝えたい」と語る。
主人公は不思議な能力を持つハムスター。大工や消防士、パティシエに医師…。“仕事人”
ハムスターが、人間社会のさまざまな難題に立ち向かっていく。「視聴者の方が、どんなふうに見てくれるのか。
ドキドキしています」と目を細めるボグダンさんだが、アニメのかわいらしさとは対照的に、
その半生は壮絶なものだった。
1989年12月。ボグダンさんは“ルーマニアの東大”ブカレスト大の学生だった。
「24時間寝ないで議論した。この国はどうあるべきかということを」ベルリンの壁崩壊以降、
東欧の社会主義国では、民主化への動きがドミノ倒し的に活発化。ボグダンさんも有志を集い、
チャウシェスク独裁政権の打倒という危険な計画のリーダーとなった。
悪名高い秘密警察「セクリタテア」の監視は強まり、厳しさを増していく日々の生活。
当局の嫌がらせなのか、愛犬のバルザック(コッカスパニエル)は家の庭先から消えた。
それでも志に同調した仲間は数万人規模に膨張。デモ、衝突は何度も繰り返された。
「先頭にいた軍人の銃口は上に向けられ、威嚇かなと思った。でも、そうじゃない。
その間から顔を出した兵士が我々を撃ってきた」3歳下の弟・オビデューさんは
右ひざを弾丸でえぐられた。
チャウシェスク政権は崩壊。しかし、受難の日は終わらない。危険人物として混乱の中で
当局からマークされ続けた。そして、いよいよ司直の手が。幸運だったのは検察官の娘が
大学の同級生だったこと。事前に「逃げた方がいい」とリークしてもらい、電車に飛び乗り
父の祖国であるハンガリーへ向かった。
政治とは距離を取り、ブダペスト大で猛勉強を開始。三島由紀夫や黒澤明の作品を通じて
日本文化の魅力にはまっていった。そしてアニメ。ボグダンさんが子供のころ、ルーマニアでは
「ヤッターマン」「アルプスの少女ハイジ」といった日本のアニメが字幕付きで放送されていたという。
ボグダンさんは文部省(当時)の留学生制度を利用して日本行きを決意した。千葉大で歴史や
言語学を学び、98年にはスポーツジャーナリストの小松成美さんと結婚。日本は「第二の故郷」となった。
来日後は、芸能プロダクションなどに勤務。昨年4月、長年の夢がかなうときがきた。
あるパーティーで東映アニメーションの清水慎治さん(55)=経営企画室=と出会った。その後、
食事をすることになり、ボグダンさんはその場で履歴書を手渡した。「『今までの人生を捨て、
東洋の地でアニメを作り、世界へ発信したい』と言われた。すぐに会社に掛け合って面接しました」(清水さん)。
外国人を即座にプロデューサーとして起用することは「非常に異例」だという。
革命や政治的混乱に翻弄(ほんろう)されながら、日本で子供のころからの夢を実現させたボグダンさん。
「日本人のモノづくりへの愛情や素晴らしさを表現した。物語性に徹底的にこだわっていきたいと思っています」
◆ギャルマト・ボグダン 1968年12月30日、ルーマニア・ブカレスト生まれ。38歳。
父はハンガリー人、母はルーマニア人の二重国籍。ルーマニアのブカレスト大で比較文化を学び、
89年の革命に参加し、チャウシェスク政権を打倒。その後、国を追われ、ハンガリーへと移住。
ブダペスト大で日本文化を学ぶ。92年に来日。千葉大などで学び、98年に小松さんと結婚。
通訳や翻訳家などを経て06年8月、東映アニメーションに入社。ハンガリー語、ルーマニア語以外に、
英語、日本語、イタリア語、フランス語、スペイン語と7か国語を話す。
◆ルーマニア革命 1989年12月16日、同国西部でハンガリー系住民の強制移住に反対する
市民らが警官隊と衝突したのをきっかけに、反政府デモが全土に拡大。その後、軍も市民を支持。
チャウシェスク大統領は同22日、首都をヘリコプターで脱出したが、捕らえられ銃殺刑に。
共産党による独裁政治は終息した。
出典:スポーツ報知 2007年10月6日06時02分
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