07/01/13 10:09:21 BE:9864858-PLT(11111)
(※ >>1 よりの続き)
安倍首相の今回のNATO本部訪問はもちろん接触の始まりであり、安保面での実質的な
協力はまだまだ先の課題である。しかし首相が民主主義や自由という基本的価値観を
NATOに向かっても確認しあうことの意義は大きい。戦後の日本が体現してきた自由や
民主、人権という価値観は首相が就任以来、対外的に一貫して強調する安倍外交の
最大特徴のひとつである。
同時にこれら価値観こそNATOが発足以来、共産党独裁の旧ソ連などの脅威に対し
一貫して掲げてきた精神的支柱だった。いまも民主主義の保持と拡大はNATOの政治的な
存在理由とされる。守るべき価値を明確にしてこそ安全保障の目的や形態が決まるという
基本である。この点でもNATOとの協力は安倍首相が目指す「普通の民主主義国家」の
安全保障には合致するようだ。
だが軍事同盟としてのNATOの物理的支柱をみると、日本との断層を感じざるをえない。
NATOの軍事面の基本は集団的自衛である。いかなる加盟国に対する外部からの武力
攻撃も全加盟国に対する攻撃とみなし、組織全体が集団となって反撃するという集団的
自衛権の行使メカニズムそのものなのだ。
この集団自衛の態勢こそがソ連の強大な軍事脅威や野心的な侵攻意図を抑えてきた。
冷戦中、もし西ドイツがソ連・東欧軍の攻撃を受ければ、その攻撃は米国への攻撃とも
みなされ、NATO全体が反撃するという態勢が築かれてきたわけだ。戦争ができる
態勢を集団で築いておくことこそが戦争を防ぐという抑止政策であり、その効用は
みごとに立証された。
一方、日本ではなお集団的自衛権は保有はするが行使はできないという奇妙な自縄自縛が
続いている。NATOの本質を概念として否定する一国平和主義の異端である。
現在のNATOはさらに欧州メンバー各国がアフガニスタンにも部隊を送り、国際治安
支援部隊(ISAF)を結成し、域外の戦闘地域での活動をも含めて平和の維持に努めている。
これまた海外でのいかなる戦闘のかかわりをも禁じる日本の「平和主義」とは天と地の
差の現実であり、思考である。
安倍首相は今回のNATO訪問でこうした日本との落差や背反を突きつけられることこそ
ないだろうが、単にNATOの実績と現状をみるだけでも、日本の安保面での特殊性や
例外性の支障を実感する好機であろう。首相にとっては防衛庁が防衛省となるだけのことに
「軍の暴走」とか「満洲への侵略」というおどろおどろしたスローガンを打ち上げ、
まじめな安全保障努力を阻もうとする朝日新聞的な反防衛プロパガンダの論破をさらに
容易にする実体験となることをも期待したい。
NATOこそ「普通の民主主義国家」群が自衛のために集団の軍事態勢を築くことの
実利と大義を実証してきたからである。
引用元:産経新聞 URLリンク(www.sankei.co.jp) (2007/01/13 08:37)
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