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□世界へ宇宙へ即席めん 故安藤百福・日清食品会長
安藤百福さんと即席めんの歴史は、日本経済の歩みと重なる。戦後の
焼け跡に見たラーメンの屋台に群がる人々。それが原点だった。「食足
世平(しょくそくせへい)」(食が足りてこそ世の中が平和になる)は
後年、安藤さんが造った言葉だ。
七転び八起きの人生ドラマだった。日本統治下の台湾生まれ。持ち前
の商才を生かし、商都・大阪を舞台に繊維問屋で財をなす。戦時中は物
資横流しの疑いで獄中生活も。疑いは晴れたものの辛酸をなめた。
戦後は貿易業などで大金をつかむが、脱税容疑で連合国軍総司令部
(GHQ)に逮捕されるなどで無一文の振り出しに。そこから寝食を忘
れた即席めん開発の日々が始まった。
売り出されたのは58年、安藤さんは48歳。遅咲きのスタートと
なったが、「チキンラーメンの発想にたどりつくのに必要な歳月だっ
た」。1万円札の発行、長嶋茂雄のプロ野球デビュー、東京タワー完
成、そして皇太子妃(今の皇后陛下)に正田美智子さんが決まりミッ
チーブームにわいた年でもあった。
残業や受験勉強の夜食、出稼ぎ農家と単身赴任者、それに母親が不在
がちなカギっ子向けと、即席めんは時代の申し子だった。「ラーメンか
らミサイルまで」と、世界に雄飛する総合商社のコピーにもなった。簡
便性を一段と強めたカップめん「カップヌードル」の登場は列島改造
ブーム前夜の71年、その食べ歩きは若者のファッションにさえなった。
失敗もあった。自信満々で開発したインスタントライスは、時代に合
わず返品の山。しかし、撤退の決断は速かった。当時の資本金の2倍、
30億円の投資が「授業料」だった。
晩年まで、自社のすべての商品の味見をするほどで、食にかける情熱
は衰えなかった。日清食品が宇宙航空研究開発機構と共同開発した「宇
宙ラーメン」は、宇宙飛行士の野口聡一さんの手で、05年夏、米ス
ペースシャトル・ディスカバリーに持ち込まれた。安藤さんは「ラーメ
ンが宇宙に行くなんて夢のようだ」と笑顔で語った。
06年8月には大阪市内で記者会見し、08年に世界の即席めんメー
カーが消費拡大策などを話し合う「世界ラーメンサミット」を大阪で開
く計画を語り、「日本からまいた即席ラーメンの種が広がった」と胸を
張った。
出典:asahi.com 2007年01月06日07時19分
URLリンク(www.asahi.com)
日清食品公式HP:会社理念
URLリンク(www.nissinfoods.co.jp)
(前略)今月2日には幹部社員とゴルフを楽しみ、亡くなる前日の4日は
同社の初出式(仕事始め)で約30分間訓示し、社員らを激励した。関連
業者との賀詞交換会に出席した後、昼食はいつものように社員らと一緒に
チキンラーメンをおいしそうに平らげていた。(中略)
2時半ごろ、「寝たいから睡眠薬を」と秘書に頼んだ直後、突然、顔
面が真っ青になり苦しみ始め、救急車で市立池田病院に運ばれたとい
う。往診した医師は「元気な人で、一昨年は『100回ゴルフに行く』
と目標を立てて、結局101回行ったと聞いていた」と話していた。(後略)
出典:2007年1月6日3時2分 読売新聞
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)