07/09/08 22:28:58
このことは、ここの「今日のぼやき」の2年ぐらい前の文章に、「太田龍論」として、もっぱら、この日本
新左翼運動の創業期のひとりとしての、太田龍氏を、書いている。私が、そのなかで、一番書きたかったのは、
「やがて、革マル派、中核派、第四インターナショナル派、として分裂してゆき、凄惨(せいさん)な、殺し
合いに入っていった、日本の過激派運動の、創業期の一人として、可哀想に、死んでいった若者たちに対して
責任を感じないのか」という一点であった。そのうち、私のこの「太田龍論」を、再度、続編も書いて、
今日のぼやきに、載せようと思う。
東京の飯田橋から日大の方に降りて行ったところの、ウニタ書店という、共産党の権威に逆らって、はやい
時期から、新左翼運動を応援した経営者がいて、そこに集まった、きわめて敏感な感受性をした、若者たち
がいて、彼らが、「君、この本知っている?」「ポーランドやハンガリーで今、起きていることを知ってる?」
と、語りあった者たちの中から、のちの新左翼党派の指導者たちが、余れたのだ。革マル派(革共同、
かくきょうどう)の創業者の黒田寛一(くろだかんいち)や、そこから分裂した、中核派の最高幹部で後に、
マサカリで革マル派に殺された本多延ヨシ(ほんだのぶよし)や、第四インター(=ヨントロと呼ばれた)の
西キョウジュたちであり、そして、太田龍氏も、そこにいたのだ。