05/02/05 23:26:36
「……生命が救かろうと思うならば、たった一つだけ方法がある。それは労
働が可能であるという印象を惹き起こすことだ。君達が一寸したつまらない傷
や靴ずれで跛をひくだけで、もうおしまいだぞ。誰か親衛隊員がそれを見つけ、
其奴に傍にくるように合図し、そして翌日はガス行きは受け合いだ。俺達の間
で回教徒と呼ばれている者を知っているか。病人らしく見える、くたびれて痩
せた、もう働くのがむずかしいような哀れな姿さ。早かれ遅かれ、しかも大概
はすぐ、回教徒はガスの中に入っていくのだ……」(フランクル『夜と霧』)
「一九四二年九月五日 本日昼、回教徒の特別選抜に立ち合う。この上なく
恐ろしいことだ。親衛隊大尉で小隊付き医師のティロ博士が、今日は食後にま
たここで会うことになるだろうと私に言ったのは当たっていた。夕方八時に又
もや特別選抜が行われた。」(親衛隊医師クレマーの日記。)
「……私は囚人たちがガス殺されたことを知っていました……」
(女性看守イルマ・グレーゼの供述。)
「……一つの病舎の全員が輸送されることもしばしばありました。淘汰され
る女性は予め囚人番号を記録されていて、殺される日が近づくと呼び出されて
第五病舎に行かされ、そこからガス室に輸送されました。彼女たちを漏れなく
確実に第五病舎へ行かせるために、それ以外の女性囚人は鎖に数珠つなぎにさ
れました……」(ビルケナウの囚人医師エレナ・リンゲンスの証言。)
「アウシュヴィッツのガス室で、罪のない人々が殺された後、死体が焼却棟
で焼かれていることは、1943年春から知っていました。」
(トップフ&ゼーネの技師クルト・プリュファーの供述。)
「……ガス殺はビルケナウ第二収容所でおこなわれたのであり、この収容所
は私の管轄下にはなかった……」(第一収容所所長ベーアの供述。)