07/11/22 23:30:03
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[プライム経済]「奈良」にはあまりにも多くの我が国の趣が生きて呼吸しているようだ。
昔の百済人たちがここへ来てなつかしい故郷の山河に置いて来た親と子、愛する恋人を思って再び帰
る日を指折り数えて待つことにくたびれ、限りなくたくさんの涙を流したはずだ。彼らは置いて来た
家族をしのぶのに疲れ、こちらで新しい国を建てることになったはずだ。そのため「ナラ」(訳注:
韓国語で国の意味)になったという話だ。
上の写真を見れば、二人の男女が非常に美しくて可愛らしく見える。昔の百済の王子がこちらの王族
の王女と愛の話を交わしているようだ。二人の男女が立っている道は日本で一番古い道と言う。この
道をたどれば奈良盆地の東にある昔の古墳に続く。ここにしばらく立っていれば万葉集の伝説と神話
が生きて呼吸しているようで、旅人の心を長い間つかんで離さない。
下側の写真を見よう。山の周辺には幾多の古墳が散らばっており、長い方向に卵円形になっていて長
さが200~300メートルの大きな古墳がある。一つは第10代崇神天皇御陵で、もう一つは第12代景行天
皇御陵と言う。
日本の中には昔の私たちのご先祖の歴史と文化がたくさん残っている。百済最後の義慈王の妹で倭国
の第37代天皇だった斉明女帝は、百済の復興運動を積極的に助けたと言う。しかし、百済本国の指導
部の分裂で、周留城が陥落して復興運動は失敗に帰した。このような周留城陥落の消息に倭人たちは
「周留がすでに降伏した。仕方ない。百済の名前は今日に至って絶えた。これから先祖の墓所にも行
くことができない」(日本書紀の記録)と言ったと言う。それなら、ここで倭人たちの先祖は百済人だ
った、という事実をうかがうことができると言える。
以後、本国を失った倭人たちは新しい名前の国と伝統を裏付てくれる新しい歴史、そして新しい文化
の必要性を痛感する。義慈王の妹である斉明女帝が死ぬと、倭の指導層は義慈王の息子であるプヨヨ
ン(訳注:扶余豊璋のことか)を奉じて第3代天智天皇(訳注:第38代の誤り)とし、国の名前を
日本と付けた。
ソース:(韓国語)[日本の中韓国の趣]奈良県天理市を捜して
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