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月刊誌「新潮45」連載エッセイ「おいらの母物語」
「(オフクロの)口調は、『あたしはもともと高山男爵家の
女中頭をやってて、子供の教育係だったんだ。おまえたちの
お父ちゃんとは教養が違う』だった。
これは相当怪しいんだけれども、オフクロは師範学校を出て、
すぐ男爵家の教育係に呼ばれたほどの才媛だったんだという。
(中略)どこまで信用できるかわからない話は他にもいっぱいあって、
オフクロは男爵家の紹介で、最初は海軍中尉と一緒になった
んだとも言っていた。それでオフクロは、北野という姓になったんだって。
その中尉が死んだ後、『北野』って名前を残せって言われて、
養子という形で親父をもらった。
だから、親父は『北野』じゃないらしい。おまけにオフクロは、
あの人は2人目なんだと公言してはばからなかったから、
親父がぐれるのも無理はなかったんだ」
「(勝)は、天才だったって、オフクロによく聞かされたからだ。
仏壇に写真があって、線香を上げるたびに、『たけし、かっちゃんは
偉かったのにな、お前の一番上だよ。これはできたんだ』
というようなことをしじゅう言われた。言外に、おまえら菊次郎の子供は
ばかだっていう意味だから、がっくりきた」