07/11/05 00:00:17
(ハンギョレ新聞)日本の月刊誌〈世界〉には本面の一番前に読者投稿欄である‘読者談話室’があ
って毎回三人ほどの文が載せられる。この雑誌の2007年10月号に奈良市に住む82歳の老人で海事代理
会社だったという方の送った文が載せられた。
今年の夏、日本軍慰安婦強制動員に関するアメリカ下院の糾弾決意採択は日本社会に少なくないショ
ックを与えたようだが、日本政府はまともに謝罪して償いなさいという決意の勧告に沈黙で一貫した。
(中略=安倍前総理の対応)読者投稿の内容を要約する。
(米下院の)決議は「残虐性と規模で前例がない。20世紀最悪の人身売買事件の一つ」とまで指摘した。
私は戦時中に私が経験した事を思い出した。それは昭和18年(1943年)11月末の事だった。私は商船学
校を卒業してすぐに新米3等航海士として川崎汽船所属の輸送船に配属されていた。中国大連で関東軍
精鋭約2000人を載せて激戦地であるニューギニアの方に航路を決めてすぐ南に向かった。
あの時、兵士らとともに若い‘従軍’(日本軍)慰安婦も80人位乗っていた。心細い、何か恐ろしがっ
ているような恐れた表情だったし言葉もあまりなかったことを憶えている。事務長から乗船者名簿を
受けたら慰安婦の大多数が韓国籍で20代の娘たちだった。荒くて冷酷な軍曹(下士官)が率いて面倒を
見ていた。強制連行なのか任意同行なのか、口を固くつぐんだ彼女らからどんな話も聞くことができ
なかった。そんな雰囲気でもなかった。
アメリカ潜水艦の襲撃に震えながら約1ヵ月あまりの航海を終わらせて無事に目的地であるニューギニ
ア、サルミに入港した。彼女たちは追い立てられるように兵士らの後に従って船から降りた。多分
「萩の家」という軍隊用慰安所に行かされたはずだ。当時の事がまるで昨日の事のように脳裏に鮮か
に残っている。戦争遂行上必要だという判断の下、軍が業者に要請して慰安所を作るようにした。
慰安所は軍が監督した。これは政府の調査結果で認めたことなのでそれで十分だ。
家の中に入って無理やり連れて行ったのかそうではないのか問う必要まではない。どうこういわなく
ても国家の責任を避けることはできない。慰安婦問題で日本軍を弁護することは、自由や人権抑圧を
肯定する、と受け入れられるだけだ。それは今の日本とアメリカが共有する価値観に反するというこ
とを安倍総理は知らなければならない。
投稿者は総理の沈黙は逆効果になるだけと言い、勧告を受け入れて談話を通じて国内外に強制動員の
事実を認めて謝罪せよと促した。今、生きていたら80歳をずっと過ぎるその80人の朝鮮娘のうち、何
人が生き残って故郷に帰っただろうか。日本の右派たちは恥辱を冒して軍隊慰安婦動員の実像を明ら
かにした被害者のお婆さんたちの公開証言の内容を立証する文書たちが残っていない、という理由で
証言の真正性を否認することで、彼女たちを再び侮辱した。
ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)日本人の‘軍隊慰安婦証言’日本総理はこれ以上沈黙するな
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