07/11/10 00:50:17 QJlkcu7s
>>279
どうせ行かなくても、メンバーの顔ぶれ見れば、内容は分かっている。
なんとも詰まらないシンポだな。
282:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 18:53:24 h0cN5ZMg
“独島で 1904年韓国人たちあしか漁が”
鮮干英俊 ‘首都圏大気環境庁長’ 論文 “島根県告示の前実質活動”
韓-日独島領有権論争の核心論点の中一つは韓国人たちが独島で実質的に活動をしたのかの点だ。日本は1905年独島を編入した島根県告示を根拠に独島が国際法
の上日本領土と主張した。いわゆる‘無主地・先行獲得では’(主人がない地を
先に占めることを認める国際慣例)だ。韓国は大韓帝国が 1900年鬱島告示を通じ
て領有権を再確認した‘石島’が‘独島’という主張で対立した。日本は島根県
告示以前に、韓国人たちが独島を実質的に支配した証拠がないという再反論を出
した。
最近、成均館大行政学科博士の学位審査をパスした鮮干英俊(54) 首都圏大気環
境庁長の論文 ‘独島領土権原に対する研究’は島根県告示以前に鬱陵島住民た
ちが独島で海獅子(あしか)を捕って日本に輸出までしたことを論証して人目を引
く。論文は 1906年独島を調査して帰った奥村碧雲(当時小学校校長)が書いた本
〈竹島及び鬱陵島〉に積まれた鬱陵島のあしか輸出統計を根拠に提示している。
鮮干さんは
△この本が鬱陵島韓国人の活動に焦点を合わせて、日本人の活動を叙述する時は
別に明示をしているという点
△あしか輸出量が 1904年と 1905年にそれぞれ 286匹に過ぎなくて、日本人たち
の活動という明示がないという点
△過去鬱陵島に棲息したあしかたちが 1883年本土住民の移住と漁業活動が本格
化しながら消えたという点に映してこの統計が鬱陵島韓国人たちが独島で捕獲
したあしかを対象にしたことだと主張した。
鮮干さんは“日本人たちの独島あしか漁は独島から東南方向に 157㎞ ほど離れ
た隠岐島を足だまりして大規模に進行されて、300余匹もまだできないあしか輸
出は韓国人たちによって成り立ったと解釈される”と言った。実際に日本は独島
で 1905年から 8年の間だけ 1万4000匹が超えるあしかを捕ったことと知られて
いる。
鮮干さんが立てるもう一つの根拠資料は 1900年韓・日鬱陵島滞留日本人行悖調
査団の韓国の方、責任者禹用鼎が作成した 〈鬱島記〉だ。この鬱島記には‘甚
至於同約捕鯨 而不分其肉油’という文章がある。“(日本人たちが) はなはだし
くは (肉と油を分けることに) 約束をして捕鯨をしてからも、肉と油を分けない
”と言う意味で、日本人と一緒に漁夫を出た鬱陵島住民の訴えで見られる。
鮮干さんは
△当時鬱陵島に大型捕鯨船が寄港するに値する安全な漁港がなかったという 株釜山日本領事館の1900年報告
△鬱陵島の地形上鯨を海岸でひっくるめて取る在来式包茎も不可能だったという
点
△当時東海の捕鯨は韓国の近海で成り立ったし、1899年当時韓国人たちは捕鯨を
しなかったという日本の既存研究結果などを根拠にこの文章の中の ‘捕鯨’ がアシカ漁を表現したことだと主張した。
鮮干さんは “大韓帝国の鬱島告示を前後して韓国人たちが独島で漁業活動をし
たということが立証されれば、主人ない島を占めたという日本の島根県告示主張は効力を失う”と言った。
論文を審査した林影幀の前東国大史学科教授は “独島と係わった新しい史料の
出る序ではなくて今は既存史料をどんなに国際法的に解釈するのかが重要だ”と
“鮮干さん論文の史料解釈は国際法廷でも韓国の独島実効的支配を立証する資
料になることができる”と言った。
ハンギョレ新聞
URLリンク(www.hani.co.kr)
283:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 18:59:43 h0cN5ZMg
「独島は朝鮮領」 日本政府文書発見
1877年当時、日本の太政官(現在の首相室)が
「独島(日本名竹島)は日本の領海ではない」と公式確認した文書に、
鬱陵島と独島を表記した地図が添付されていたことが明らかになった。
環境部首都圏大気環境庁長の鮮于栄俊(ソンウ・ヨンジュン)氏は13日に
「磯竹島略図」の内容を公開し、「この地図に現れた独島の存在は韓日の学者間で繰り広げられてきた論争を整理する意味がある」と語った。
日本側はこれまで「太政官文書の“竹島(鬱陵島)外一島”が独島のことを指しているのかどうか不明確だ」と主張してきた。
日本の内務省は1877年3月17日、
太政官に「日本海内竹島(鬱陵島)外一島(独島)地籍編纂質疑」を送付し、
太政官は同月29日に「竹島外一島を版図(日本領土)外と定める(原文:竹島外一島 本邦無関)」と公式決定した文書を作成している。
チョン・チョルファン記者
朝鮮日報
URLリンク(japanese.chosun.com)
284:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:02:03 EgzsLqHu
■古代史の解釈を変更すべし
現在、中国政府は『東北工程』と称する満州・朝鮮半島北部の歴史解釈見直し政策を進めているが、
われわれ日本人もこれを見習い、朝鮮半島南部の古代史の解釈変更を行うべきである。
具体的に言うと、志羅紀、任那、百済、耽羅、そして日本海の鬱陵島(ウルマ)を古代の日本領土と
理解した上で、白村江戦争を「百済VS唐」「百済VS新羅」の戦争ではなく、
「日本VS唐」「日本VS新羅」の戦争と考えるのである。
そして、「唐・高句麗戦争」を「白村江戦争」と同じ時代に起きた「別の戦争」と評価し、
この理論を基にして、白村江戦争の背景にあった日本と唐の関係、日本と新羅の関係の解釈の
再構築を進めるのである。
さらに重要なことは、必ずワイ族の歴史を研究し、ワイ族と朝鮮人の歴史的なつながりを
明確にすることである。志羅紀が倭人国だったこと、ワイ族が志羅紀を侵略して新羅を建てたこと、
これらの事実をきちんと理解した上で、白村江戦争の意味を解釈しなければならない。
285:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:05:51 pWGgYLwH
結局、竹島の名前っていくつあるんだよ?
286:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:12:46 1L9num+Q
誰か今まで韓国側が出してる名前を整理してくれ
287:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:16:28 lDgk6j+K
チョンの学者モドキは、
まず結果を定めてそこに至る経緯を妄想と願望で繋いでいくんだなww
これが物理や化学なら「ウリの想像とは違うニダ??」で白黒つくんだが、
歴史物語はやりたい放題に何でもできるからな。
韓国の歴史教科書は悲惨な事になってるんだろうなw
288:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:27:28 /38LsX/A
「沖縄は韓国人が開拓した国」~新羅・于山国が沖繩を670年間支配していた
【琉球国の建国…『ソウル』『マムマ』『アンサラム』、沖繩の言葉と類似】
【日・古文献の分析、現場踏査を含めた著書を来月出刊】
新羅時代の于山国(現在の鬱陵島)住民約1,000人が、西暦513~514年頃に日本
の 南端である沖繩島に移住し、12世紀末まで25代にわたり王位を継承していた
という主張が出された。
昨年、『独島領土権原研究』論文で成均館(ソンギュングァン)大学の博士学
位を受けた 鮮于栄俊(ソンウ・ヨンジュン)首都圏大気環境庁長は、「日本の
古文献の調査と3回にわたる沖繩の現地踏査を通じ、沖繩の旧称である『琉球
国』が『古代の鬱陵島住民の移住によって起こされた国』、という事実を裏付け
る証拠を見付けた」と、21日に明らかにした。
著書に紹介された関連文献などによれば、日本の古書である『琉球国旧記・
1731年』、『古琉球・1890年』など、数十巻の文献を分析した結果、于山国は
512年に新羅の異斯夫(イサブ)により服属された直後、資源不足などを理由に
沖繩(旧称・ウルマ国) 南部の 久高島などに遠い航海の果てに初めて進出し
た。 当時の于山国の住民は、馬韓と百済、高句麗系統だと推定される天孫氏
(チョンソンシ)と呼ばれた集団で、鬱陵島に茂っていたけやきで作った船舶に
乗り、沖繩に到着して全域で 勢力を伸ばして670年間王位を維持していたが、
1187年に国王が重臣に殺害された後、 滅亡の道を歩く事になった。
以降、内戦など長年の混乱期を経験し、日本の江戸幕府が琉球を侵攻して植民地として作ったが、幕府側は琉球と韓国との関係を徹底的に不正であると削除し、
まるで九州から沖繩の歴史が始まったように操作して来たと著書は主張してい
る。 日本の学者らが古文献を参照しながら住民達の血族系統を研究した結果、
沖繩原住民のY-染色体が、韓半島で形成された韓国人特有のY-染色体(O2b1a)と
殆ど同じで、隣近の台湾などの原住民の染色体とは大きく異なるという事が指摘
されていて、沖繩が韓国人の 開拓により出来た国である事を裏付けていると言
うのである。
また沖繩で使っている言葉と古代の国語(または現代国語)の間に、発音や意味
が類似する単語が多い事が分かった。 沖繩神歌に出る『ソウル(韓国意味・小
雨漏)』は『ソウル』の日本かな式表記から推定され、 日本学者たちは新羅の
首都『徐伐』を『ショ-ウル』と読んでいると思っている。 沖繩現地の村で使わ
れる『ウマニ』は、国語の『オモニ(お母さん)』と意味が同じで似ている
発音をしているし、現地の別の村では『アムマ』と発音される。 沖繩伝統の言
語である『アンサレ』は国語の『アンサラム(家内・奥方)』を意味するのと
発音が似ていて、『パル』は国語の『着(または原野、程度)』のような言葉で
ある。『ヨナグスク』という言葉は、沖繩で最初の名門家などを意味している
が、『ヨナ』は韓国語 の古語辞書では『ヨナ(開く)』と表記、『新たに開
く』と言う意味を持っているし、『グスク』は韓国古語の『グズクする(生え
る)』の意味としてお互いに通じる。
鮮干博士は、「現在も沖繩の各所では、1,500年前の韓国の言葉と文化がそのま
ま残っている事が直接確認出来る」とし、「韓国と沖繩間の歴史、言語、文化に
対するより体系的な 研究が成立すれば、韓日古代歴史の全面的な再解釈が出来
ると思われる」と語った。鮮干博士は3月中にこのような内容を記載した『独島
そしてウルマ国-琉球国を捜して(仮題)』の著書を出刊する予定である。
ソウル=聯合ニュース
URLリンク(news.naver.com)
289:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:30:14 EgzsLqHu
■古代史の解釈を変更すべし
現在、中国政府は『東北工程』と称する満州・朝鮮半島北部の歴史解釈見直し政策を進めているが、
われわれ日本人もこれを見習い、朝鮮半島南部の古代史の解釈変更を行うべきである。
具体的に言うと、志羅紀、任那、百済、耽羅、そして日本海の鬱陵島(ウルマ)を古代の日本領土と
理解した上で、白村江戦争を「百済VS唐」「百済VS新羅」の戦争ではなく、
「日本VS唐」「日本VS新羅」の戦争と考えるのである。
そして、「唐・高句麗戦争」を「白村江戦争」と同じ時代に起きた「別の戦争」と評価し、
この理論を基にして、白村江戦争の背景にあった日本と唐の関係、日本と新羅の関係の解釈の
再構築を進めるのである。
さらに重要なことは、必ずワイ族の歴史を研究し、ワイ族と朝鮮人の歴史的なつながりを
明確にすることである。志羅紀が倭人国だったこと、ワイ族が志羅紀を侵略して新羅を建てたこと、
これらの事実をきちんと理解した上で、白村江戦争の意味を解釈しなければならない。
290:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:43:57 iMvT6ZsX
>>279
【書籍】韓・日歴史学者2人が共同研究"独島は韓国の地"
`独島か、竹島か。' 独島問題解決は韓国と日本の歴史的宿題として残ってい
る.
双方の主張をあまりに厳格にみると,共同研究はもちろん日本国内での独島書
籍出版という夢を見ることはなかった.そうしたなかで,最近日本で出版された
"史的検証 竹島・独島"はそれ自体でも意味ある本だ.
日本最大の出版社である岩波書店が出版したこの本は,金柄烈国防大学教授と
内藤正中島根大学名誉教授が共同で研究して執筆した.去年12月まず"韓・日専
門家がみた独島問題"が国内で出版され,その日本語版がこの本だ.
内藤教授は`日本は歴史的に二度にわたって,独島は日本領土ではないと明ら
かにしたため,1945年以後にも独島が日本領で残ったという主張は説得力がな
い.'と主張した.彼は`元和4年の竹島渡海免許' ,`2005年島根県村上家で
発見された古文書',`1870年朝鮮国交際始末内偵書',`1900年大韓帝国勅令
第41号'などを根拠にして,自分の見解を実証した.
合計3部で構成された本は,第1部を内藤教授が,第2部を金教授が執筆し
た.2人の見解を総合した第3部は内藤教授が代表して執筆を引き受けた.
金教授は,日本国内で韓国の独島領有を批判してきた人士が申し立ててきた
`鬱陵島から独島が見えるか'という問題に対して,鬱陵島住民の生活条件,
気候条件などを根拠に,独島が可視距離に含まれることを実証した.また日本の
独島編入問題を,露・日戦争の影響と韓国併合過程という文脈で,史料を分析し
て記述している.
この本の出版を支援した北東アジア歴史財団(理事長キム・ヨンドク)は,
`韓・日間で共通した歴史的認識は,共通点と差異を,基礎史料に基づいて検証
した後,その結果をお互いに共有しようとする時点で形成することができる.日
本最大の出版社から,徹底的な内容の検証を通じて出版されたという点で意味が
大きい'と言った.
ソウル新聞 記事日付 : 2007-05-22 24 面
URLリンク(www.seoul.co.kr)
291:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:46:07 EckU8E+2
みんな偉いよな。「世界四大文明は韓民族が起こした」とか言ってる連中の相手がよくできるよw
292:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 19:53:31 auqKFek8
>>279
<新刊> 『竹島=独島論争』
[聯合ニュース 2007-04-11 08:44]
(ソウル=聯合ニュース) キム・ヨンス記者
日本政府の「独島(日本名:竹島)固有の領土論」を,韓国と日本の新しい
史料に基づき批判的に検証した『竹島=独島論争』が日本で出版された.
「歴史資料から考える」という副題が付いたこの本は,日本の代表的な独島研究
家である内藤正中島根県立大学名誉教授と,日本国内の市民団体である「独島・
竹島問題研究ネットワーク代表,朴炳渉さんが,日本人が独島問題に対して正
しい歴史的事実を共有してほしいという思いで,共同で執筆した.
二人の著者はこの本で日本外務省が「独島は歴史的、国際法の上でも明らかに
日本固有の領土」と主張していることに対し,1987年堀和生京都大教授の
『太政官指令文』公開以降に新たに発見された史料を提示しながら,日本の
固有領土の主張に反論した.
第1章の「日本の固有領土論について」では,過去日本政府が「鬱陵島と独島は
日本領とは関係ない島」と決めた事実があることを多くの史料で立証している.
第2章の「竹島=独島の歴史上の争点」では,現在日本で争点となっている歴史
的事実を,両国の資料に基づき詳しく説明している.第3章と第4章は日本の
メディアと、島根県竹島問題研究会などに対する反論と,独島の実測データ,
日本人の鬱陵島・独島紀行文などが掲載されている.
『竹島=独島論争』は,日本メディアの独島問題報道が,島根県の「竹島問題
研究会」が先導する方向に偏向されているなかで,独島問題を歴史的な観
点で客観的史料に基づき分析したという点で,注目を集めている.
東京 新幹社,342ページ,2500円
URLリンク(news.naver.com)
293:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 20:03:31 e9qezbIw
>>279
『半月城通信』の朴炳渉氏
「独島問題は、日本の偏狭な民族意識を刺激するより歴史的事実の提示が大事」独島問題専門家として活動中の在日韓国人・朴炳渉(パク・ピョンソプ)氏
在日韓国人の会社員が『「マンガ嫌韓流」ここがデタラメ』という本に書いた
独島関連の論説が、日本で大きな反響を呼び起こしている.話題の主人公は,現在
日本に居住していて昨年5月に著書を10人の共著で出版した朴炳渉氏だ.朴氏と2・3回電子メールをやりとりして,独島問題など韓日間の主要問題についての考えを聞いてみた.
朴氏は,「日本人たちに,独島が歴史的に韓国領土であったという事実を広く知
らせようと考えて論説を書くようになった」と述べた.本の内容に共感した名古
屋の市民団体は独島をテーマに講演を要請し,これを朝日新聞が報道するなど,
日本国内に社会的波紋を呼んだ.朴氏の今回の活動は,これまで韓日間の主要問題
となってきた独島問題や従軍慰安婦,韓日併合条約などについて日本人たちの偽
りの主張に反駁する文章をインターネットのホームページ「半月城通信」に10年来書いてきたことの一環だった.
朴氏は来月初め,韓国海洋水産開発院の独島研究センターの招待で韓国を公式に
初訪問する.在日韓国人として日本に帰化せず韓国名をそのまま用いている朴氏
は,「『半月城通信』が日本のメディアと大衆から大きな注目を集めるようにな
ると,極右団体からの牽制が強まった」と述べた.朴氏は,「一篇の文章を書くと
きでも一字一句まで必ず実証と論理をととのえておかないと,極右団体に反論と
批判の材料を与えることとなる」と説明した。特に日本国内では独島問題の歴史
的背景が充分に知られておらず,日本政府の「独島は日本の固有領土」という意
識が密かに浸透している.また,島根県が作った「竹島問題研究会」が昨年初めか
ら活発に活動していることなどが,韓国政府にとっては大変わずらわしい点だ.
一方で朴氏は,日本国内の一部の学者の間で,独島が歴史的に韓国領土であるこ
とを認める雰囲気がますます高くなっている有利な状況に,韓国政府は注目すべ
きだ,と主張した.このような日本国内での対立が出てきたことで,昨年春には
朝日新聞の論説主幹が「独島を共同管理するか,韓国がこれに応じなければ渡し
てやってしまった方が良いだろう」と主張するなど独島問題に対する新しい論調
が現われるようになった,と朴氏は説明した. 朴氏は,「日本の明治政府が『独島
は日本の領土ではない』と明らかにした歴史的事実の重要性を知らしめ,日本外
務省の主張に反駁する日本の歴史学者・国際法学者らの意見を一般に広く知らせ
なければならない」と述べた.
最後に朴氏は,「韓国政府を初めとする韓国人たちの,日本の偏狭な民族意識を
刺激する感情的な対応には,限界がある」として,「日本国内で、独島が自国の
領土ではないという歴史的事実を広く知らせる必要がある」と述べた.
SPORTS TODAY(韓国語)[2006.11.21 18:23]
URLリンク(news.stoo.com)
294:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/11 20:47:52 cO6kePDG
ながめると領土になるのか、こっち見るなよ、死ね。
295:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/12 07:40:37 2OBTqriq
VIP vs VANK ~"Japan Sea" or "East Sea"~
URLリンク(www.youtube.com)
VANKvsVIPPER(^ω^ )
URLリンク(www.youtube.com)
296:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/12 07:47:51 2OBTqriq
Asou talkes about Takeshima's problem.
URLリンク(youtube.com)
日本人として最低限知っておきたい近現代史・3-3
URLリンク(jp.youtube.com)
297:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/12 08:27:46 O5I60/bf
確かに、太古の昔はユーラシア大陸の3分の1は韓民族のものだったなんてほざいてる基地外連中に何言っても無駄
298:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/12 21:32:29 8+EwM0ao
鮮干英俊さん「正祖、臣下らと独島問答」を主張
正祖「独島の防御策を読もう」
丁若鏞「空島で放置は間違っている」
朝鮮時代正祖が直接臣下たちに、鬱陵島・独島の防御策を問う試験を実施し、
丁若鏞が1位となったという主張が発表された。
4日鮮干英俊「韓国領独島、日本認定推進委員会」準備委員長によれば、正祖
は1789年閏5月に大臣らを対象に領土の防御問題を論ずる親試を実施した。
正祖は「鬱陵島と損竹島は長い間無人島で捨てられ、閭延と茂昌ははるかに昔
の郡県を回復することができない。(中略) 願わくば子大夫は私のために論じ
ならべて、みんな対策を著述しなさい。私が自分で読もう」と指示した。
そこで丁若鏞は「鬱陵島と損竹島などを空島で捨てておくことは良い計策では
ない。鬱陵島は昔の于山国に新羅智證王が征服したところだ。矢柄やてん皮と
奇妙な木などが済州島より多く、水路が日本と近く接している」と答えた。
丁若鏞は「もし狡猾な倭人らが密かに鬱陵島に来て先に占拠してしまった
ら、国家の大きな心配の種だ。今でも民を募集して鬱陵島に入って行って
暮らすようにして、鎮堡の設置も引き延ばすことはできない」と付け加えた。
損竹島に対しては「やや小さい島であるうえに、憂慮する問題もないから、
たとえ捨てておいても弊害はない」と答えた。
正祖の質問は正祖の詩文集弘斎全書第50冊の策問、3の地勢、抄啓文臣の
親試(1789年)に書かれ、丁若鏞の回答は茶山詩文集の対策にあり、この試験
で首位を占めたという内容も含まれている。
2007.07.05 世界日報(韓国語)
URLリンク(www.segye.com)
299:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/12 21:54:15 VavNZANA
>>279
張勲氏「無窮花」等、07韓国政府褒賞 2007-11-08
07年度政府褒章の関東地域の伝授式が6日、東京・南麻布の韓国大使館で行
われ、各受章者が柳明桓大使から勲章を授与された。
今年の在日同胞の受章者は18人・2団体(名簿は2面に)。無窮花章を受章し
た張勲氏(67)は、不滅の大記録といわれる通算3085安打を達成するなど日本プ
ロ球界で大活躍し、多くの韓国人を勇気づけた。韓国プロ野球委員会総裁特補も務めた。
柳大使は「特殊な歴史性のもとに幾多の苦難を乗り越えてきた皆さんの努力
が、同胞社会の発展に貢献してきた」と述べ、民団中央本部の鄭進団長は「諸先輩の愛国・愛族精神が高く評価された」と祝った。
07年度政府褒章受章者
【無窮花章】(1人)
張 勲(東京・67)
【石榴章】(3人)
朴炳渉(千葉・65)
朴平造(北海道・64)
金清正(大阪・68)
(2007.11.7 民団新聞)
URLリンク(www.mindan.org)
300:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/12 21:57:04 08WXD0cK
国際法廷に出ろ
話はそれからだチョン
301:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん
07/11/12 22:33:23 OFYjBLRs
独島の領有権認識は新羅時代から、研究者が発表
【ソウル28日聯合】
「独島は韓国の領土」という認識は新羅時代の512年にすでに存在していたと
主張する著書が国内の学会で発表された。
独島領有権を研究している鮮干栄俊(ソヌ・ヨンジュン)博士が12日に韓日関
係史学会で発表したところによると、干山国(現在の鬱陵島)が新羅将軍の異斯
夫(イ・サブ)により服属された後、貢ぎ物を贈る際に独島を指す「武陵」とい
う名称が広く使われていた。これは独島を朝鮮半島の領土として認識していたこ
とを示すとした。
日本の外務省などは、韓国人は1900年代初めまで独島の存在さえも認識してい
なかったと主張しているほか、国内の学界も干山国に対する認識を朝鮮初期の
1400年代初めごろとしていた。今回の主張は独島領有権の時期を900年以上早め
たことになる。
鮮干博士は、「高麗史地理志」で干山の位置を説明する中で武陵について触れ
られており、特に「世宗実録地理志」には新羅が干山と武陵の2島を領土として
認識していたことが明確に記されていると説明した。このほか、朝鮮時代の歴史
地理書「疆界考(1756年)」と政府財政書「万機要覧(1808年)」などにも干山
と武陵が新羅の領土だと明記していると強調した。
鮮干博士は先月末にも韓国政策学会や韓国行政学会のセミナーに出席し、従来
の主張は新羅時代で通用していた「干山・武陵」という名称を誤って解釈したた
めで、独島に対する領有権は朝鮮時代ではなく新羅時代にすでに確立されていた
と主張した。こうした内容を盛り込んだ鮮干博士の著書は、6月初めに出版され
る予定だ。
2007年5月28日19時15分配信 YONHAP NEWS