【竹島】 「朝鮮成宗時見つかった‘三峯島’は独島に当たる」~鮮干英俊著「高麗と造船国時代の独島」[10/27]at NEWS4PLUS
【竹島】 「朝鮮成宗時見つかった‘三峯島’は独島に当たる」~鮮干英俊著「高麗と造船国時代の独島」[10/27] - 暇つぶし2ch1:蚯蚓φ ★
07/10/27 21:25:38

URLリンク(img.hani.co.kr)
(訳注:図中、矢印の先に三峯島(独島)、その左横に鬱陵島と記載。四角の中は西暦)

(ハンギョレ新聞)1476年(朝鮮成宗7年)9月16日、王の命令を受けた金漢京(キム・ハンギョン)ら12
人は永安道(現咸境道)京城から櫓を漕ぐ船五艘に乗って去り、東海(日本海)にあることが知られて
いた未知の島‘三峯島(サンボンド)’の探索に出た。

十日の航海のあげく、三峯島から7~8里離れた所に停泊して島を観察した。彼らは「島には人影が30
もあって、疑心から恐ろしくて上陸しないで島の様子を描いて帰った」と報告した。朝鮮は世宗から
成宗まで‘卯島(ミョド)’または‘三峯島’として知られた東海の新しい島を尋ねることに努力を
傾けた。賦役を避けて逃げた人々を捕らえるためだ。

1476年の航海は、20余年にわたった探索の中で唯一、三峯島の詳細な姿を残した。しかし、三峯島が
鬱陵島なのか独島なのかをめぐる議論が独島領有権と関わって続いて来た。

鮮干英俊、韓国領独島認定委員会設立準備委員長(行政学博士)は26日、発刊された本<高麗と造船国時
代の独島>(学英社)で三峯島が独島の西方の島である‘西島(ソド)’という新しい解釈を出した。大
部分の日本の研究者と一部、韓国学者たちは三峯島を鬱陵島と考えている。鬱陵島の様子や「島に人
が30人余り立っていた」と言う記録が主要な根拠だ。

しかし、鮮干委員長は航海が江原道ではなく咸境道から始まったことに注目した。豆満江河口から出
発して鬱陵島を経ないで、直ちに北から独島に近付いたというのだ。探査隊は「‘島’の北に岩三つ
が並んで立っていて、次に小さな島、岩、中の島、小さな島がありすべて海水が流通する」と記述し
た。ここで‘島’を独島の西島と見れば、この記述は現在の独島周辺配置と完璧に一致する、と言う
のが鮮干博士の主張だ。

彼は‘人の姿30個’に対して「探査地点が浜辺から2~3㎞離れていて、季節的に見てアザラシの群れ
だった可能性が大きい」と見た。またこの距離では大きな島である鬱陵島全体を眺めることができな
い、と三峯島の鬱陵島仮説を排斥した。彼は「韓国人たちは1900年代初めまで、独島を全然知らなか
ったという日本の主張と違い、朝鮮時代に国家次元で島を探索して領土行為をしたことが明らかにな
った。」と述べた。

ソース:ハンギョレ新聞(韓国語)“朝鮮成宗時見つけた‘三峯島’は独島に当たる”
URLリンク(www.hani.co.kr)

関連スレ:【竹島】 日本の漁夫が乱獲で絶滅させた独島アシカ(グラフあり)★2[03/05]
スレリンク(news4plus板)



レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch