07/10/09 19:39:12
(ソウル=聨合ニュース)「身についた日本語を日常生活では使えますね。しかし、文学作品はずっと残
るではないですか。日帝が韓国語を抹殺して強制的に書かせた日本語を、文学にそのまま混ぜること
は作家としての使命感がないといわざるを得ません。」
ハングルの日を迎え月刊文芸紙'文学思想'10月号に寄稿文を通じて文学作品中の日本語残滓を批判し
た文学評論家金ジョンヘ(69)釜山大名誉教授の言葉だ。
金教授は寄稿文で「日帝時代、私たちの先輩文人たちが書いた作品には日本語があまり現われていな
いのに、解放後の文学作品には奇妙にもたくさん登場する」「これは文人たちの無責任、無誠意、歴
史意識の欠如が生んだ弊害」という主張を広げた。
8日聨合ニュースとの電話インタビューを通じて金教授は「美しくなければならない文学作品に光復以
前強制的に投入された日本語を書くということは、恥ずかしい事」と声を高めた。金教授は文学作品
にショブ(勝負)、ノガダ(土方、労動)、クルマ(車)、コプ(コップ)、アイスケキ(アイスケーキ)、ミ
シン(ミシン)など順化されない日本語がそのまま使われていると指摘した。
金教授は、作家として適切な表現と判断して日本語を書いたのかも知れない、と言う意見に「そんな
行動を認めるとか尊重することはできない」と言い切った。一般大衆の間に使われている言葉を少し
鮮やかな感じを与えるために文学作品の中に入れることが、果して誤った事かと反論する人もいるが、
その反論は正しくなくて大衆を正しい方向に導かなければならない責任ある文人としてはすべきでは
ない事だというのだ。
また、一部では日本語を文学作品に使うことで、小さい頃の日本語に対する郷愁を思い起こして、こ
れを通じて日本語残滓が拡散すると主張した。金教授は「文壇でもこの問題に対して関心が少なかっ
たことが事実であるほどで、まず文壇で問題意識を持たなければならない」「作家たちは自分の使う
言葉でどのような影響がありうるのかを考えながら筆を執らなければならない」と助言した。
ソース:naver/聨合ニュース(韓国語)<人々>文学の中日本語残在批判金天恵さん
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