07/08/24 07:23:51 qfaHh9Bn
(-@∀@)
昔はこんなに水を飲んだだろうか、と思うときがある。ペットボトルの水のおかげで
ある。あれを持ち歩く習慣がついてしまった。水事情が良くない海外を旅行したとき
からの習慣かもしれない。水が手元にないとつい不安になる。
手元にあると無意識のように口をつけてしまう。本格的な渇きを感じる前に飲んで
しまう。水の存在が疑似的な渇きを招いているのではないか、と反省するときも
ある。欲求があって何かを欲しがるのではなく、何かが目の前にあるから欲求が
生まれる。
水ではなくお茶の人もいるだろうし、あるいはスナック菓子の人もいるだろう。
そうした飲食物だったらまだいい。しかし、もっと別の物で同じ心理が生じると
すると……と考えて不安を覚えることがある。たとえば武器である。
昔の武士は試し切りというのをしたらしい。いい刀を手に入れると使ってみたく
なる。わら人形相手ではつまらない。そういって実際に人間を相手に試し切りをした
という。そこまでさかのぼらなくても、最近の戦争でも似たようなことがあったという
話はよく聞く。殺傷の欲望を、手にした武器が促す。
究極の武器といえば核兵器に行き着く。インドとパキスタンとの緊張がまた
高まっている。核保有国の両者が自制できるかどうか。ペットボトルの水をにらみ
ながら核戦争の恐怖におびえる。あまりに極端な連想かもしれないが、人間の
欲望と自制との関係という点では、同じだ。
ものと欲求との関係が転倒しやすい時代だ。気をつけないと、みるみる深みにはまる。