07/08/19 21:50:52 1aA4jOm5
>>587
それほど高尚な分類があったわけじゃない。
単純に当時の基幹産業が農業であって、農業に従事することが難しい人達が村社会の
外で生きていく仕組みが、博徒や渡世人であったり、穢多・非人の制度だったというだけ。
体力的に農作業が無理であったり、粗暴で村社会に受け入れられなかったりと理由は
色々であるが、その基本的発想は「住み分け」だった。普通に経済交流もあったし。
差別という点から言うと村社会の中にあって村八分に遭っている人達の方が熾烈な
差別に直面してた。