07/07/24 03:59:58 A5MAOtjJ
続き
しかし、試し腹でできた子には、姓は与えられない。何故なら所詮、「試し腹」の為に
作られた単なる「試し子」だからだ。嫁ぎ先の家の戸籍にも入れてもらえず、かといって
本来の血筋たる貞家に引き取られることもない。生まれた時からその生涯を、
「奴(ぬ)」として嫁ぎ先の奴隷のように暮らすことが既に決められている。
が、それは「無事に成長できれば」の話だ。
実は「試し腹」の風習において「試し子」を作る行為は、
必ず親族の間柄でのみおこなわれた。もっぱら叔父と姪の間で
おこなわれることが通例となっていたが、「実の父親と娘」や「実の兄と妹」の間柄で
おこなわれることもさほど珍しくはなかった。
つまり、これらはれっきとした「近親相姦」なのである。
優生学的に見ても、近親婚によって生まれた子供が、成人するまでに病気に
かかって死亡する割合というのは、血縁関係の薄い男女間に生まれた子供に
比べて非常に高いとされている。しかし、そのような高度な学問に無縁で
あるはずのこの地方の村人たちも、長年に渡って営まれ続けた独自の暮らしの中で、
実はそれを充分に理解していた。そして彼らは、長年の暮らしから学び取った
そんな「経験則」を持って、敢えて肉親同士の間で「試し腹」の風習を続けている。
近親婚の有害性を熟知しながらも、「他族の男と交わる行為は、夫となる男性以外には
決してあってはならない」という「ムラの掟」を「大義名分」として、
今尚、娘や姪、そして妹たちのまだあどけない肉体の深奥に、
一族の血筋も濃厚な「試し子」を芽吹かせ続けているのである。
つまり、「試し子」は所詮「試し子」であり、「生まれる」こと
のみに意味があり、その成長など誰一人として望んでいないのだ。
少女たちが嫁ぎ先において産み落とした「試し腹」の為の「試し子」は、
早々と病死してくれるにこしたことがないのである。
そして、そんな数奇な生い立ちの「試し子」が、幼少で病死することなく
無事に成人したとしても、結婚も出来ずに、奴隷のような扱いを受けながら
懸命に生き続けていたのである。