07/07/21 17:13:09 GeSngwb7
(>>97続き)
また,和夫は近くに行き場のない孤児がいると,連れ帰って面倒を見ていたが,その数は,一人二人
と増え,四,五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。けれども,和夫夫婦は
これら孤児たちを家族のように愛し,自ら喜んで彼らの父,母を称した。和夫の家族はふだん,この
ように朝鮮人を愛し,日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。しかし,彼らは,日本の天
皇が降伏宣言をした1945年8月15日,自分たちが育てた朝鮮孤児たちにより,凄惨に殺害され
たのだ。
【和夫の死2】
その日,まさに万歳の声とともに,太極旗が波のように風になびきつつ,朝鮮の世がやって来た。神
は自分が受けるべき朝鮮の愛を横取りしたと,和夫君に嫉妬したのか? 彼がわが子のように育て,
東京帝国大学に留学までさせたAの主導下に,彼の家で教育を受け,育ち,成人した青年たちが斧と
鍬,スコップを手に,和夫のもとに押しかけた。そのとき現場にいた金ソンス君は,次のように証言
している。
和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを,子どもたちよ。
A:チョッパリ! 日本へ失せろ,失せちまえ。
和夫:(怒ったような声で)私が,お前たちにどんな間違いをしたというんだ。お前たち,みなが私
の息子だ。私はこの家の家長であり,お前たちの親だ。お前たちの祖国が解放されたことは,
私もふだんから待ち望んできたことだ。踊りでも踊りたい気分の日に,なんだって凶器をもっ
て私の所に詰めかけたりするんだ。私は決してお前たちをそんなふうに教育したおぼえはない。
(涙を流しながら)ほんとうに悲しいことだ。朝鮮の息子たちよ。私が愛を傾け,育ててきた
結果は,つまるところ日本人と朝鮮は融和できないということなのか。お前たちが望むなら,
帰ってやるわ。