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■記憶にずれがある
少し、歴史をおさらいしておこう。
日本の中国侵略は、盧溝橋事件の6年前、1931年の満州事変が一つの
起点だった。翌年、満州国が建国され、それらが原因となって国際連盟からの
脱退につながる。日本は国際的な孤立への道を突き進む。
戦争が本格化したのは、盧溝橋事件の後からだった。日本軍は戦闘を
中国各地に拡大していった。さらに日独伊三国同盟を結び、インドシナ半島を
南下するなどして、英米などとの対立は極まった。その結果、太平洋戦争に
突入し、最後の破局に至る。
日中戦争の歴史は、そのまま中国の近代史に重なる。国家存亡の危機で
あったのだから当然のことなのだが、一方、日本にとっては米国との戦争、
とりわけ広島と長崎への原爆投下といった被害の方が深く記憶に刻まれがちだ。
この記憶のずれが、友好をうたいつつも、ぎくしゃくしてきた日中関係の根底に
影響しているのは間違いない。
抗日戦勝利と言っても、被害の大きさは日本とくらべものにならないし、
中国が日本を屈服させたわけでもない。戦後、賠償を放棄して「ゆるした」のに、
日本はその重みを受け止めていないのではないか。中国は軽んじられている。
そんな屈辱感も重なっているのを見逃してはならないだろう。
反日デモの嵐が吹き荒れた一昨年春。デモ参加者の怒りには、さまざまな
要因が絡まっていたことだろう。その一つに、江沢民時代に強化された
「愛国教育」の影響があると言われた。
揺らぎだした共産党支配の正統性を立て直すために、抗日戦争を学習させ、
結果として日本への怒りを再生産することになった、という見方だ。
その面があるのは確かだろう。中国の歴史研究にしても、政治権力から
独立して自由に行われているとは言い難い。しかし、だからといって、日本による
侵略を自らの近代史の中心テーマと受け止め、記憶し、世代を超えてそれを
受け継ごうという中国人の心情を批判することはできない。
いまの中国では、知日派の人々でさえ、戦争の歴史の話になると表情を
変えることが少なくない。民族感情の渦が代々受け継がれていることを、
私たちは意識しておかねばならない。