【台湾】日本軍の虐殺によって111年前に廃村になった村の調査と古道の復活を~元教師らが宜蘭県に要望[07/04]at NEWS4PLUS
【台湾】日本軍の虐殺によって111年前に廃村になった村の調査と古道の復活を~元教師らが宜蘭県に要望[07/04] - 暇つぶし2ch1:~^◇^)<誤訳あったらごめん。@シャイニング記者。φ ★
07/07/04 23:13:16

日本軍の虐殺に遭った湖桶村、老人らが真相の解明を希望
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言い伝えによると111年前、台北県と宜蘭県の境にある頭城鎮湖桶村で、
村民数百人が日本軍の虐殺によって廃村になり、湖桶村は「鬼域」と呼ばれたという。
湖桶村に近い老人らが昨日、県の歴史館に陳情に向かい、
専門チームの立ち上げと湖桶村への道の整備を行って、歴史の真相を取り戻すことを訴えた。

頭城鎮の元教師、林字萬はこの歴史について長年研究を重ね、
かなりの文章記録を残している。
北宜公路の開通前、頭城鎮には何本かの山道があり、台北県坪林郷に通じていた。
湖桶村は、その山道の中間にあり、当時は天秤棒を肩にかけた物売りの子供たちが、
米を持って朝早くに4,5時間かけて湖桶村に行き、茶などを運んで帰ってきていたという。
湖桶村は、茶などの集散地で、生活必需品の交易地でもあり、
百戸あまり数百人が住む賑わいを見せていたという。

林字萬によると、1895年に台湾が日本に割譲されると、
当時多くの人が異民族に統治されることを望まなかったことから次々と武装蜂起が起きたという。
その抗日運動の首領が、日本の包囲攻撃を受けて、湖桶村近くの「景洞」に退却した。
日本軍は山狩りを行い、目標を誤って湖桶村にたどり着き、そこをこの首領のアジトと間違えて、
虐殺を命令した。

大虐殺の当日、湖桶村の村民はまさに婚礼の儀式の最中で、
村民のほかに多くの客人がおり、一説では400人が殺害されたという。
日本軍は火を放ち村を焼き、辛うじて逃れた村民もやがて散り散りになった。
こうして、かつて商業の重要地だった湖桶村は、言われない罪を晴らすことなく埋没し、
やがて「鬼域」と呼ばれるようになった。

林字萬は、専門チームを編成して廃村の遺構を探し出すことを建議した。
また、古道を整備して、歴史の真相を明らかにすることを求めた。
県歴史館の聶孝唐・館長は、事件の発生したのがかなり古いうえ、
老人もまた言い伝えの話をしているにすぎないが、
坪林郷公所と共同して、聞き取り調査を行い、古道の証を復元したいと語っている。
[ 宜蘭報道 / 記者:呉淑君 ]
(07/04 01:12)

★ ソースは、聯合報 [台湾] とかからはしょり気味に訳。
URLリンク(udn.com) (中国語・繁体字)

★ 画像。
URLリンク(udn.com)


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