07/06/28 17:40:50
1945年8月末と9月初めに、米海軍が軍事目的でソウルや釜山、仁川、群山(忠清南道舒川郡
長項も含む)、晋州、馬山などを撮影した写真1056枚が20日、本紙に独占公開された。
この写真は、米トリード大のデビッド・ネメス教授が1980年代後半に済州大に寄贈したもので、
現在まで済州大地理教育学科(孫明哲〈ソン・ミョンチョル〉主任教授)が所蔵している。
これらの写真資料はすべて印画紙の状態で、大きさは小型(縦横各23センチ)と大型(縦23センチ、
横48センチ)の2つがある。光復(日本支配からの解放)直後の45年8月28日から29日、そして同年
9月9日から10日に撮影されたもので、ソウル以外はすべて港湾を撮影している。ソウルと港湾部
を撮影したのは、日本の敗戦以降、韓国に関する情報を収集するため、米軍が主要地域を優先的
に撮影したものと見られる。なお、写真には撮影日や地域名などが記されているが、ソウルや仁川
を「KEIJO」や「JINSEN」と日本式の発音で記している。また、3000メートル上空から90度の角度で
鉛直撮影(垂直方向からの撮影)したものがほとんどだが、一部には撮影対象を斜めから撮影した
もの(傾斜写真)もある。
済州大の呉尚学(オ・サンハク)教授(地理学)は「われわれの手で撮影されたものではないが、
大韓民国の主要地域を本格的に航空撮影した最初の写真という点で大きな意味がある」と評価した。
日帝強占期、日本当局も航空写真を撮影したが、ソウル都心などを断片的に数カット撮影しただけ
にとどまっている。
なお、国土地理情報院も地図製作を目的とした航空写真を持っているが、66年にオランダと「航空
写真測量事業協定」を結んだ際に撮影された写真を所蔵しているだけだ。済州大地理教育学科側は、
このほかにも日本の九州や本州、沖縄、台湾、フィリピンなど、米軍が44年から45年にかけて航空
撮影した13箱分の写真をネメス教授から寄贈され、保管していると明らかにした。
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画像
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▲東大門(興仁之門)と周辺の清渓川の様子
写真の上が南側だ。今年11月に撤去される予定の東大門運動場のかつての姿を見ていると、
「ここは城東原頭(城の東側の野原という意味で、この地域のかつての呼び名)…」で始まるラジ
オ中継がどこからか聞こえてくるような気分になる。
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▲ソウル汝矣島と周辺の風景
広々とした平原のような島に飛行場の施設だけが見える。「上を見なよ、安昌男(アン・チャンナム)
の飛行機、下を見なよ、厳福童(オム・ボクトン)の自転車…」という流行歌の発祥地となったこの飛
行場は、1916年に開設され、韓国人初の飛行士・安昌男は22年12月、ここで母国訪問記念飛行を
行った。
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▲忠清南道舒川郡長項の風景
長項の象徴である前望山(別名・煙突山)の長項精錬所の煙突が見える。1936年に操業を開始し
た長項精錬所は、韓国非鉄精錬産業の歴史を切り開いた場所で、現在は「LS‐ニッコー・カッパー」
という会社がここで操業している。写真に写っている煙突は79年に撤去され、現在の煙突は同年に
ほぼ同じ高さで再び建てられたものだ。全羅北道群山出身の詩人・高銀(コ・ウン)さんは以前、「背
伸びするかのようにわたしをぐんと育ててくれたのは、川の対岸にある長項精錬所の煙突であり、
その煙突から出る長々とした煙だった」と回想している。