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■731部隊長、郷里で無料診察 戦後「罪滅ぼし」の表れ? 千葉・芝山
旧満州(現中国東北部)で中国人捕虜に人体実験を繰り返した旧関東軍防疫給水部
(731部隊)の部隊長、石井四郎元陸軍軍医中将が戦後、生家のあった千葉県芝山
町を時々訪れ、無料で診察するなどしていたことが、同町の住民の証言や残された私
信で明らかになった。石井元中将の戦後の足取りはよく分かっていなかったが、「蛮行
に対する罪滅ぼしの意識の表れだったのでは」と指摘する研究者もいる。(藤方聡)
石井元中将は1892年、芝山町の前身の旧千代田村で生まれた。敗戦後、人体実験
の記録を連合国軍総司令部に提出、戦犯の訴追を免れたとされる。その後は定職に
つかず、人目を避けて暮らしたとみられるが、芝山町に土地の管理で姿を現すことも
あったという。
同町大里の鈴木泰三さん(80)によると、元中将は1957年、旧知の鈴木さんの祖父
の治療で同町に滞在した。鈴木さんの子どもが熱や腹痛を訴えた際には、鈴木さんの
依頼で診察。「盲腸だ。すぐに手術を」と、成田市の病院に紹介の電話をかけ車も手配
してくれたという。手術成功を聞いた元中将は「子ども1人を助けた」とほっとした様子で、
謝礼を受け取ろうとはしなかったという。
その翌年には、東京都新宿区の住所で元中将からはがきが届いた。「その後、○○君
の胸の方はいかがですか」「たん、せき等はとまりましたか。ちょっとでも具合が悪かっ
たら、軽いときに成田(の病院)に駆けつけて下さい」と続き、気遣いが表れている。
元同町職員の前田虎夫さん(68)は、50年ごろ母親がひざに痛みを覚え、元中将に
診てもらったのを覚えている。前田さんの自宅で手術が行われたという。石井まささん
(93)も、47年ごろ夫が足が痛くなり、生家にいた元中将に連絡したところ、すぐに駆
けつけてくれたという。
石井さんは「部隊の実態は戦後しばらくは分からなかった。今は悪いことばかり言われ
ているが、親切で気さくないい人だった」と振り返る。
石井元中将は59年に都内で死去したが、多くの部隊関係者や遺族は部隊や元中将
への言及を避けてきた。晩年の記録などはほとんど残っておらず、元中将直筆のはが
きは貴重な史料といえそうだ。
731部隊に詳しい松村高夫・慶応大名誉教授(社会史)は「石井の蛮行に対する免罪
符にはならないが、罪滅ぼしの気持ちが出ているのでは。普通の人がある状況下に置
かれると、非人間的行為をしてしまうことを示す例だ」と話している。
◆キーワード
<731部隊> 正式名は関東軍防疫給水部。1936年、旧満州・ハルビン郊外の平房
に設けられ、ペストやコレラによる細菌兵器の開発、製造に従事、中国戦線では実際に
細菌戦を行った。部隊の存在は秘匿され、中国人やロシア人捕虜を伝染病感染や凍傷
などの人体実験に使い、多くの犠牲者が出た。石井元中将らは極東国際軍事裁判で訴
追されず、部隊の実態は戦後も広くは伝わらなかったが、80年代に作家の森村誠一さ
んが「悪魔の飽食」を出版、その一端を明らかにした。
▽ソース:朝日新聞 2007年6月12日付 38面