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ロサンゼルス暴動の教訓
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ロサンゼルスのダウンタウンから少し西に行くとサウスセントラルになる。
大昔は白人高級住宅街だったが、今は住み変わって低所得階層、つまり黒人の街に変わっている。
そんな街で食料、雑貨などの商売を最初に始めたのがユダヤ系移民だった。
ユダヤ人たちはそこで小金をため、子供たちの教育費に充てた。
成長した子供たちはやがて法曹界やハリウッドで活躍し、マリブなどに両親のための家を建てた。
両親は黒人街の店をたたみ、去っていった。
ユダヤ人に代わって次に黒人街に来たのは日本人だった。彼らも一生懸命に働いた。
資金がたまると黒人街を巣立ち、白人街にスーパーや洗濯屋を開いた。
リトルトーキョーを見下ろす小高い丘ポルツハイツが、そのころの成功した日本人の住宅街になる。
黒人たちは出て行く日本人に言った。
「ユダヤ人を昔見送った。そして今度は日本人を見送る。私たちばいつも見送るだけ…」。
日本人が出て行ったあと韓国人が入ってきた。そしてそれまでと大きく雰囲気が変わった。
新しい経営者は気難しく、客への侮りを隠そうともしなかった。
そんなある日、彼らの経営する雑貨店で黒人少女が小物を万引きした。
店番をしていた経営者の女性が銃を持ち掛し、黒人少女を背中から撃った。少女は即死した。
彼らに不快感を募らせていた住民は激怒して店を囲んだ。
ロス市警が出動して間に入っだが、それがかえって感情をくすぶらぜ内在化さぜる結果になった。
のちに「あの店をやらせておけば」という声が当局者の間で何度かささやかれることになる。
そしてこのときサウスセントラルの外側でまったく別の事件が起きていた。例のロドニー・キング事件、白人警官4人が
黒人を袋叩きにしたあの事件の裁判で警官を無罪とする評決が出された。
評決は黒人蔑視と受け取られた。沸騰した怒りはサウスセントラルの一画ノルマンディ大通りの交差点で白人の乗った
トラックを襲うという形で爆発した。九二年のロサンゼルス暴動の始まりだった。