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我が国の花札には12月だけ人がいる。しかし、日本の花札には3月にさくら遊びをする人、
5月に湿地でヤツハシという木橋を渡って桜を鑑賞する人、9月に菊花酒を飲んで菊祭りを
楽しむ人など三人もいる。
それでは我が国の花札にも出る12月(日本の花札の11月)の彼は誰だろう?花札に出る彼は
日本の3大書道家の一人である小野道風(894~966年)だ。彼は蛙が楊柳に登るために数え
きれないほど努力するのを見て「努力の大切さを悟った」と言う'小野道風の説話'を残し
た主人公でもある。
我が国の花札は模様が日本と違うが、意匠は似ている。その他に、花札には6月に蝶、7月
に猪、10月に鹿、12月に蛙など動物が登場する。
(中略=鹿の説明)
◇牡丹と蝶は一緒に描かない?=花札6月には蝶がいる。一緒に描かれているのは東洋では
花の王と呼ばれる牡丹だ。一つ注目する点は牡丹と蝶が一緒に描かれているということだ。
中国と韓国の絵の場合、牡丹と蝶を一緒に描かないのが慣例だ。中国で牡丹は、富裕栄華
を象徴するのに、ここに80歳を意味する蝶を一緒に描き入れれば、80歳までに富裕栄華を
享受する、という意味に解釈されるからだ。従って牡丹と蝶を描く時には、猫を一緒に描
き入れる。
これと関連したエピソードが伝わっている。唐の太宗が新羅宣徳女王に牡丹の絵を送った
が、そこに中国画の慣例どおり蝶を描き入れなかった。しかし、宣徳女王は自分が独身で
暮らすことを唐の太宗が戯れて「香りがなくて蝶が飛んでこないという意味'に誤解して大
いに怒ったという。この影響で、韓国画でも牡丹と蝶を一緒に描かない。一方、花札には
日本画の慣例どおり牡丹と蝶が一緒に描かれているから、私たちの情緒とは差がある。
◇冬になぜ蛙?=花札の12月には蛙がいる。我が国の場合、冬眠した動物が土中で目覚める
という啓蟄になると蛙を見られる。したがって12月の蛙は見慣れない。しかし、日本の伝
統文化と古詩にも11月に蛙がよく出る。日本が我が国よりもっと暖かい温帯モンスーン気
候なので、11月に蛙が描かれたという説も説得力があるが、韓・中・日三国家間の文化コ
ードである十長生の亀が蛙に表現されたという説もある。
◇花札の由来=日本の花札は1543年頃、ポルトガル人によって日本に伝わった西洋のカード
がその元祖といわれる。以後240余年間、変形のあげく18世紀末に完成された。花札が韓国
に伝わったのは19世紀末、対馬島商人たちによって釜山地域に入って来たという説がある。
以後1940年代、日本軍に強制徴用及び軍属で参加した韓国人たちによって本格的に導入さ
れたことが知られている。
現在の花札賭博は1960年代、韓国に輸入されて以後、1980年代急速な経済発達と政治的混
濁期に乗って急速に広がるようになる。しかし、1895年当時ペンシルバニア大学のスチュ
アート・コーリン(1858~1929)教授は自分が発行した「韓国の遊び」という本で、西洋ト
ランプの根が我が国の三国時代の遊びである「闘箋」から始まったと主張している。闘箋
は厚い紙の片面に人物・鳥・獣・魚・虫などの絵や文句を書いた牌を使っていて、花札に
似ている。したがって、花札は日本ではなく我が国固有の遊びという。これによって、花
札に登場する動物・植物と人間なども四君子や十長生(シプチャンセン)など我が国の情
緒に再解釈した本と論文も多数ある。
ウィ・ソンウク記者
ソース:慶南道民日報(韓国語)12月(飛光) 傘持った人は?'小野道風'
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