【韓国】大田に民族精神抹殺の為の『日本の神社』があった[06/08] at NEWS4PLUS
【韓国】大田に民族精神抹殺の為の『日本の神社』があった[06/08] - 暇つぶし2ch1:ちょーはにはにちゃんwφ ★
07/06/08 20:35:30
(写真)
URLリンク(imgnews.naver.com)

日帝が我が民族の精神を威圧する為に、1907年に大田(デジョン)・東区(トング)
蘇堤洞(ソジェドン)に建てた大田神社の様子が写った写真はがきが発見された。

大田地域に初めて建てられたこの神社は、日帝が大田の精気抹殺の為に大田の
主山(※風水に関連)である鶏足山(ギェジョクサン)と、大田の代表人物の一人
である宋時烈(ソン・シヨル)が住んでいた家の間に建てられていたとこれまで記録
があったのみで、写真などは伝えられていなかった。

100年ぶりに初めて公開されるこの写真はがきは、ハンバッ文化の庭のイム・ホンギ
代表が最近ソウルの古書店で入手、忠清(チュンチョン)トゥデーに提供した物で
横13cm、縦9cm。

写真はがきには松に囲まれた神社の建物と、キセルを持った老人が庭先に
座っている姿が写っていて、裏手には鶏足山の尾根がかすかに見えている。

写真はがきの右下の端には、『朝鮮・大田/大田神社という文字が漢字で鮮かに
印刷されて、『鈴木書店』が発行しているのが分かる。

この神社は都市の発展により、1929年の10月に中区(チュング)大興洞(テフンドン)
の現在の聖母(ソンモ)女子高の場所に移された。

大新(デシン)高校のチェ・チャンムン教諭は、「日帝が我が民族を武力で威圧
したのが軍隊と警察ならば、精神的に威圧したのは神社だった」とし、「1907年に
日本人の居留民が、大田の聖地と称えられた蘇堤洞の主山に大田神社を設置して、
この際に宋時烈の住んでいた家屋と蘇堤の風致を異色な神社によって毀損される
しかなかった」と大田神社に関して説明した。

イム・ホンギ代表は、「写真はがきの神社は1907年に大田に初めて建てられた
事から、日帝が大田の精気抹殺の為に立てたが、強占期直前に作られたので
建築様式が朝鮮式との折衷を試みたと思われる」とし、「今回発見された写真
はがきは、大田の痛恨の過去と1900年代初旬の大典事の一場面をありのまま
伝える資料だ」と語った。

ソース:NAVER/CBSノーカットニュース(韓国語)
URLリンク(news.naver.com)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch