07/06/04 00:18:40
「1日おきにパンを食べるのがやっとだった」。青森・深浦港で2日、保護された脱北者夫婦と
息子2人の4人は、青森県警の事情聴取に、北朝鮮での生活の困窮ぶりを切々と訴えた。
「タコ漁の収入で一家を細々と支えてきた」。4人は、そう話す弟の小さな漁船に乗って北朝鮮を脱出した。
出航直後の4日間は波にもまれ、食事も会話もままならないなど厳しい航海を耐え、
必死の思いでたどり着いた日本。一夜明けた3日、家族は警察の調べにも
落ち着いた様子で、時折、笑みも見せているという。
一家は4人暮らしで、かつて漁師だったという50代後半の夫も、60代前半の妻も無職。
30代の兄は専門学校に通っていたといい、家族の生計を支えていたのは、
20代後半の弟のタコ漁の収入だけだった。
弟は、県警に対して「船の操縦資格を持っているので、苦労して船を購入した」と話しているという。
しかし、その船も、船外機が老朽化し、塗装もされていない全長わずか7メートルの木製の小型船だった。
深浦港で目撃した住民によると、船尾には穴が開き、浸水を防ぐために軍手を押し込んであった。
「北朝鮮を出る前の生活は苦しかった」と話す4人が清津(チョンジン)を出発したのは、5月27日だった。
「出航した時は濃い霧が出て、周りが見えないほどだった」。海上保安庁などによると、
「この時期は一年で一番海が穏やかな時期」というが、小さな漁船で日本海の荒波に乗り出した
家族にとっての航海はつらく、厳しいものだった。
「出航後間もなく、海はしけ始めた。荒れた海は4日間収まらなかった」「船にしがみつく状態だった。
船が大きく揺れるので、食事も、互いに話すこともできなかった」。4人は当時の様子を説明する。
深浦港で発見される直前、4人の船は、約13キロ離れた別の漁港に近づいた。
釣りをしていて目撃した男性(73)によると、息子の1人が櫓(ろ)をこぎ、1、2メートル手前まで近づくと、
船の上から夫が「ニイガタ ニイガタ」と話しかけてきた。身ぶり手ぶりで必死に伝えようとしていたという。
男性が「ここは違う。青森だ」と答えたが、理解できない様子だったという。
4人は上陸後、警察官に「陸地が近づくにつれ、ほっとした」と話し、安堵(あんど)の表情を浮かべた。
医師の診察の結果、4人の健康状態に問題はなく、県警の調べにも落ち着いて冷静に応じているという。
食事も残さず、3日の夕食に出された幕の内弁当には、「おいしい」と笑顔を見せ合ったという。
県警は、洗顔や洗濯の時間を設けるなど、長い航海を経験した4人の衛生面にも配慮しながら、
五所川原署で事情聴取を続けている。
(2007年6月4日0時0分 読売新聞)
URLリンク(www.yomiuri.co.jp)