07/05/29 04:48:59 RPhb8bhT
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古代史の勉強をより詳細にしたら、高句麗も百済も王室の出身地は、満州に8万余戸(40万人くらい?)いた扶余人だったみたいです。
高句麗王朝は、完全な扶余系(中国満州系)。
百済王朝は、4世紀、朝鮮半島にあった中国の植民地の楽浪郡滅亡の混乱期に、扶余人が朝鮮半島南部の原住民である韓人を支配した征服
王朝だったんですね。(しかも、この百済は、倭と中国・高句麗との間に緩衝地帯を設けるために、倭によって作られた国だったみたいです。)
しかも、これらの国々は滅亡後、王室を形成していた扶余人たちは、大半が故郷の満州へ帰還しているわけですね。(一部が日本へ亡命)
そして、この扶余人と、後に中国で金や清を建国した女真族とは、ほぼ同族と考えたらよいみたいです。
つまり、高句麗と百済と、現在の韓国や北朝鮮との間には、継続性が薄いわけです。
また、新羅のほうは、4世紀以降、これまた中国東北地方のワイ族が、原住民である韓人たちを支配した征服王朝です。
(それ以前は、倭が事実上、新羅のあたりを属領にしていたもようであり、初期の新羅王室の昔氏は、日本の丹波(丹後)出身だったみたいです。)
ただ、新羅の場合は、ワイ族の支配者たちは、そのまま、半島へとどまって同化した可能性が強いですし、
その後、中国東北地方に出没した女真族や鮮卑族と、ワイ族は、民族的共通性が薄いみたいです。
よって、これらのことを総合して考えたら、はじめての朝鮮半島の統一王朝は、統一新羅であり、
はじめての朝鮮半島の現地出身の統一王朝は、王氏高麗からみたいですね。
だとしたら、朝鮮半島の歴史は、せいぜい1300年~1000年くらいですね。
ここ50年、韓国は上古代史を歪曲してきたのが、中国に叩かれて、いっきに韓国国定史が消失しつつある。
逆に、日本の場合は、考古学の進歩で、卑弥呼=倭迹迹日百襲姫(夜麻登登母母曾毘賣命)ということが判明しつつあり、
神武天皇は紀元1世紀~紀元2世紀前半、天忍穂耳命(カチハヤ)は紀元前1世紀の人物だということが判りつつあって、
戦後に失われた日本の上古代史が復権しつつある。