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タブーに挑戦~週刊アカシックレコード070426
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いまから4世紀以上前、戦国時代、太閤・豊臣秀吉の息子とされる秀頼は、(秀吉
が数十人の妻妾を持ちながら、秀頼の母・淀殿以外だれも妊娠しなかったことか
ら見て)ほんとうは秀吉の実子ではないだろうと当時の戦国武将のだれもが思って
いたが、それは当時最大のタブーだった。そして、だれもそのタブーを破れない
まま、石田三成を初めとする「太閤殿下恩顧の諸大名」は恩人秀吉の血を一滴も
引かない息子を守るために関が原の合戦を戦い、敗れ、そして敗者の大半は滅び
去った。
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もし事前にだれかが声高にタブーを破っていたら、関が原の合戦の様相は大きく
変わっていただろう。
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第二次大戦後に東欧諸国に成立した社会主義諸国は「西欧の資本主義諸国では、
人民は資本家に搾取されているため、東欧の社会主義諸国の人民より貧しい暮ら
しをしており、われわれより不幸だ」というタテマエで成り立っていた。ところ
が、1980年代に西欧諸国で衛星放送が始まると、そのTV電波が国境を越えて東欧
諸国にも流れ込んで来たため、東欧諸国の人々は、衛星放送受信機を手に入れ、
それを受信してしまった。
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すると、東欧諸国の茶の間のTVには、「われわれより不幸」なはずの西欧諸国の
人民がわれわれよりはるかに豊かな暮らしをしている実態が映し出された。
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それまでも、東欧諸国では「西側に豊かで自由な暮らしがある」ことはうすうす
知っていたが、それを公然と語ることをタブーにすることで、東欧諸国の社会主
義独裁政権は成り立っていた。が、いくら政権がタブーにしようとしても、「だ
れでも知っていること」はタブーにできない。
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この帰結が、1980年代の一連の東欧諸国の社会主義体制の崩壊だった。このうち
、1989年に、東ドイツの社会主義政権がそれまで厳重に禁じていた西ドイツとの
往来を一部緩和するかのような発表をしたのは象徴的だった。
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なぜなら、「緩和」が可能だったのは、西ドイツが「不幸でない」ことを東ドイ
ツの全国民が知っていると政権が認めたからだ。結果は、ご承知のとおり、「緩
和」の発表を拡大解釈した東ドイツ国民が「ベルリンの壁」などの東西ドイツ国
境に殺到し「緩和でなく、完全な自由往来」を求めたため、東ドイツの政権がそ
れに抗し切れなくなり、一気に「完全な自由往来」まで進み、結局翌1990年の東
西ドイツの統合まで実現してしまった。
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筆者は、巨大なタブーが破られる瞬間を見てみたい。
いまや天皇制の問題点を語ることはタブーでもなんでもない。とくに天皇制に反
対する言論は、左翼思想の尻馬に乗りさえすれば、だれでも「気軽に」表明でき
る、安っぽい言葉の遊びに成り下がった。
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他方、中朝戦争のタブーは、それが破られた瞬間に韓国経済が崩壊しかねないほ
どの「真正のタブー」であるがゆえに、「開戦」が数年後に迫った2007年現在で
さえ(小誌2007年3月8日「戦時統制権の謎~シリーズ『中朝開戦』(3)」 <
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依然として、日米中韓では最大のタブーであり、各国のマスコミにとっては当面
、報道できない状態が続く「予定」である。
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しかし、そのタブーも、インターネットを通じて、拙著の発売を知った方々の、
紀伊國屋書店(新宿本店)でのご購入によって破れるかもしれないのだ。
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それは、世界のメディア史上も、かなり珍しい「実験」となりうる。
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まさか、韓国経済が崩壊するような問題で、軽々しく公的機関や新聞、TVがリア
クションをするとは思えないが、さりとて、「みんなが知っていること」は無視
できない。