07/05/22 12:40:03
「ここが“望郷の丘”です。1940年代に故郷を思う朝鮮人らが、港が見えるこの丘に集まり、
家を建てて定着し始めた場所です」
「サハリン・ウリマル(韓国語)テレビ」のキム・チュンジャ放送局長の説明を聞いている間、
「漢江フォーラム」の会員10人余りの目頭には熱いものがこみ上げていた。
「漢江フォーラム」(金容元〈キム・ヨンウォン〉会長)は、1995年に政財界の人物らにより結成され、
これまで先進化運動と北朝鮮問題に関するセミナーや講演を開催してきた団体。
最近ではサハリンと中国の朝鮮族同胞を支援する運動を展開している。
2005年10月、この「漢江フォーラム」のメンバーらがロシア・サハリン州にある「望郷の丘」を初めて訪れた。
そこからは、韓国と日本を往来する連絡船の寄港地であるコルサコフ(大泊)の港が一望できた。
そしてここは、1945年の光復(日本支配からの解放)を迎え、祖国に帰ることを望んだが、
船に乗ることができなかった朝鮮人らが涙を流した丘なのだ。
「漢江フォーラム」のメンバーらはこの日、「望郷の丘」にまつわる同胞らの話を広く知らせるべきだと考えた。
金容元会長は「当時、サハリンが日帝の支配下にあり、日本人所有の連絡船だけが往来していた。
光復の知らせを聞いた同胞らはふ頭に走り、船に乗ろうとしたが、
日本人らは朝鮮人を1人も乗せず去っていったという話を聞き、胸が痛んだ」と話した。
ユジノサハリンスク(豊原)市内を回りながら、「望郷の丘」を世に知らせる方法について悩んでいたメンバーらは、
偶然傷みがひどく崩壊した「サハリン犠牲同胞慰霊塔」を発見した。この塔を見たメンバーらは、
「望郷の丘」に塔を建て直し、サハリン同胞らを慰めようと決意した。
一行の中の1人、ソウル大美学科の金文煥(キム・ムンファン)教授は、
帰国後すぐにソウル大彫塑科の崔仁寿(チェ・インス)教授を訪ね、「彫刻をデザインして欲しい」と依頼した。
彫刻建立には、約2億3000万ウォン(約3000万円)程度の予算が必要になる。
そこで「漢江フォーラム」の会員らが直接募金活動を始め、現在までに約1億4000万ウォン(約1830万円)を集め、
海外同胞財団も3000万ウォン(約390万円)を寄付した。
金文煥教授は、最近彫刻に刻む碑文の文案を作成した。
「ソ連当局も、混乱状態にあった祖国も、彼らを顧みることはできませんでした。
(中略)いまださまよう犠牲同胞らの魂を自由な形式で祭ろうとの意を集め、
この“望郷の丘”に断絶を終えるパイプの船を空高く建立します」
金文煥教授は「彫刻を建立することで、サハリン残留韓国人らの望郷の思いを慰めたい」と話した。
問い合わせ=サハリン犠牲同胞慰霊記念彫刻建立委員会 (*電話番号はソース参照)
キム・ギョンウン記者
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ソース:朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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