07/05/22 20:23:41 FUSxlASj
終戦時、南サハリンと千島列島には、日本人が約四十万人、朝鮮
人が約四万三千人いたとされる。四六年十二月、「ソ連地区引揚米
ソ協定」が結ばれ、日本人の大半は帰国した。が、朝鮮人の妻や養
子になっていて引き揚げ通知の対象から外され、「残留が確認され
た日本人は推計四百-五百人」(厚労省中国孤児等対策室)。うち
七割が女性といわれる。残留邦人を支援するNPO法人「日本サハ
リン同胞交流協会」(東京都渋谷区)は、現在の在留邦人は「百人
以上が亡くなり約二百二十人」という。
木村さんのように、韓国・朝鮮人と結婚した日本人女性は多い。樺太
は終戦後の八月二十二日まで、旧ソ連軍との地上戦にさらされた。
ソ連兵の性暴力を恐れ、韓国・朝鮮人との結婚を急いだ例もみられる。
永住帰国している須田百合子さん(69)=北海道江別市=は「終戦後、
敗戦民族として自信を失った日本人より、朝鮮人の方が生活力があっ
た。長女を年長の朝鮮人に嫁がせ、家族を養ってもらう日本人が多か
った。生きていくためには、選択肢はなかった」と振り返る。終戦後、
反日感情が高まり、残留邦人は激しい差別にさらされた。
須田さんは塔路で生まれた。朝鮮人夫妻に里子に出され、「金順愛(キ
ムスウネ)」名で育てられた。十五歳で写真店を経営する十一歳年上
の朝鮮人と結婚。「生粋の朝鮮人と結婚したと思っていた」夫が、須田さ
んの素性を知ってから激しい暴力が始まった。「『日本人妻で恥をかく』
とむちゃくちゃな乱暴を受けた。翌年生まれた長男にも日本人の血が入
っていると暴力を振るった」
ユジノサハリンスク(豊原)に今も残る加藤波子さん(75)は、七歳年上
の朝鮮人に「結婚しなければ兄貴を殺す」と包丁を突きつけられ、十七
歳で結婚したという。永住帰国している近藤孝子さん(73)=東京都三
鷹市=は加藤さんと親交があった。「波子さんの夫は子どもにアイロン
を押しつけて大やけどを負わせたあげく、売り飛ばしてしまった」と振り
返る。