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>>1の続き
壬辰倭乱当時、日本総司令官を務めた宇喜多秀家の13代子孫浅沼秀豊さん(53)は和解の
火の前で「先祖の代わりに心よりお詫びする」と見事な韓国語で頭を下げ、行事場所をおごそ
かで静粛にさせた。
小西尊徳さんは「豊臣独裁者の野心のため朝鮮に苦痛を与えた先祖も戦争後、首を切られたし、
子孫たちはばらばらと散らばってなんとか子孫を残した」と述懐した。また「多くの方が温かく接し
てくれたのでありがたい」とし「こんな集まりが隣りの両国間に友好を深めるきっかけになるように
願う」と言った。
李士革さんと参加した李如松の13代孫である李沢綿さん(46)は「柳成竜先生の思想は貴い資
産になって子孫たちに大きい影響を及ぼす」と明らかにした。
李種南さんは「西厓先生が見せてくれた国と民を愛した神々しい精神を後世たちに貴重な遺産と
して伝えなければならない」と言った。
今回の行事は安東市と「西厓柳成竜先生追慕事業準備委員会」が平和を念願するために壬辰
倭乱で互いに刀を交わした戦争当事者の子孫たちを招待して行われた。準備委員会は追慕祭が
開かれる前日の11日から400年ぶりの和解を導いた。11日午後7時、安東市臥竜面烏川里君
子村(ワリョンミョン・オチョンリ・クンジャマウル)の光山?氏(クァンサン・キムシ)宗宅でこれらは和
解の晩餐をした。壬乱直後、宣寧で最初で兵を起こした郭再祐(クァク・ジェウ)と金山で義兵700
人と最後に迎えた趙憲(チョ・ホン)ら義兵子孫たちと中国と日本の武将の子孫ら100余人が顔を
合わせて所感を述べ合った。