07/05/14 12:28:58
12日午後3時、慶北安東市洛東江(キョンブク・アンドンシ・ナクトンガン)辺りのタルチュム
(仮面舞)祭り会場。
午前降った雨が止むと「西厓柳成竜(ソエ、リュ・ソンヨン、1542~1607)先生逝世400周
年追慕祭典」が行われる会場に道袍と儒巾の儒林(ユリム)と全国郷校から来た100余の崇
慕旗が入場した。
「…1592年、壬辰倭乱(イムジンウェラン=文禄の役)が勃発すると国政の最高責任者だっ
た領議政西厓は井邑県(チョンウプヒョン)監だった李舜臣を全羅(チョンラ)左水使にいきなり
抜擢するなど人才を登用して未曽有の戦乱を収拾した。ところが彼は党争に巻き込まれ、官
職を奪われた後、都落ちして戦乱を振り返る懲毖録を執筆し、未来を警戒させる…」
会場大型スクリーンで先生の一生が紹介された。引き続き、開幕宣言とともに先生を称える黙
念をした後「和解の火」が点火された。
李舜臣将軍の13代子孫である李種南(イ・ジョンナム、71)元監査院長とキム・フィドン安東市
長がこの日の朝、西厓先生の宗?の河回村忠孝堂(ハフェマウル・チュンヒョダン)から移してき
た火種でたいまつに火を付けた。2人は続いてたいまつを持って舞台に上がり、韓国と中国、日
本を代表する4人に炎を伝えた。
四人は西厓の14代宗孫であるユ・ヨンハさん(81)と壬辰倭乱当時朝鮮を侵略した日本軍急
先鋒小西行長の17代子孫である小西尊徳さん(73)、朝鮮を支援した明の武将李如松の
13代子孫である李士革さん(41)、栗谷李珥(ユルゴク、イ・イ)の15代宗孫であるイ・チョンヨ
ンさん(65)。戦争当事者である韓日中の武将の子孫の和解に続き、四色党派に分かれた東
西間も一緒に和解しようという意味だ。
たいまつが燃えると六人は皆、後ろの大型聖火台に集まって火を1カ所に集め、手を取り合った。
合わされた火は聖火台で赤々と燃えた。会場にはこの瞬間、和解を祈る銀の紙ふぶきと拍手が
あふれた。
>>2に続く
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