【外交】 国が謝るとき~謝罪を受け入れる意思がなく、和解する意図もない中国、韓国への国家謝罪は不毛な努力 [04/24]at NEWS4PLUS
【外交】 国が謝るとき~謝罪を受け入れる意思がなく、和解する意図もない中国、韓国への国家謝罪は不毛な努力 [04/24] - 暇つぶし2ch1:Mimirφφ ★
07/04/25 00:01:24
■国が謝るとき

 米国議会が慰安婦問題で日本の首相や政府に謝罪を求める決議案を審議するようになった。
安倍晋三首相は訪米に臨み、懸命な対応に努めているようだ。だが決議案が要求するような謝罪を
表明すべきか、否か。そもそも一つの主権国家の政府や首相が対外的に謝るという行為はいったい
なにを意味するのか。

 国家が謝罪するとはなんなのか。慰安婦問題でまた浮上した「謝罪」について、その基本を考えて
みることも必要だろう。

 国家には当然ながら多様な機能や活動がある。戦う。負ける。弾圧する。降伏する。滅びる。妥協する。
賠償する。悲しむ。喜ぶ。

 以上のような、それぞれの現象は国民や民族の公の集団としての主権国家の動きとして、想像がつく。
意味が分かる。

 だが国が謝る、というのは、なにを指し、なにを果たすのか。解答は急に難しくなる。

 国家の謝罪というのは国としての一定の言葉の表明である。言葉を通じて、遺憾や痛恨の意を表し、
反省を述べ、過誤を認める。相手への同情や贖罪(しょくざい)の意を表す。だが降伏とも、屈服とも、
賠償とも異なる。降伏や賠償が具体的な行動を指すのに対し、謝罪は単に言葉の表明だけでも
ありうるからだ。

 現実の世界では国家が謝罪を表明するというのは意外と珍しい。特に対外的な謝罪の表明は少ない。

 米国がフィリピンを植民地にしていたことは歴史的な事実だ。植民地支配が現代の倫理で悪なことも
現実である。だが米国政府はフィリピンの統治について謝罪はしていない。日本の広島と長崎への
原爆投下も人道主義の観点からは邪悪な行為だろう。だが歴代の米国大統領は決して日本に原爆投下の
謝罪はしていない。残酷な戦争の終わりを早めるために、むしろ必要だったという正当化の言葉を
歴代大統領たちは明確に述べている。

 米国の政府は国内での奴隷制について被害者の黒人たちに謝罪をしたということもない。原住民だった
アメリカインディアンに謝ったこともない。個別のケースでの遺憾の意の表明や賠償の支払いはあっても、
主権国家として政府から黒人やインディアンへの全体の謝罪はない。

 英国がインドやビルマ(現ミャンマー)の植民地支配を政府として謝ったという話も聞かない。フランスが
ベトナムやカンボジアの植民地統治を謝罪したこともない。

 要するに国家はそう簡単には謝らないのである。

 人間集団の謝罪や許容について学問的に研究している米国ハーバード大学のマーサ・ミノー教授は
以下のように解説している。

 「人間の集団と集団、あるいは集団と個人の間での公式の謝罪という考え方は1980年代以前は米国でも、
あるいは国際的にも、ほとんど提起されることがなかった。つまり国家から国家へ、国家から個人へ、という
関係での謝罪という行為は現実にはまずなかったのだ」。

 要するに国家が「ごめんなさい」とか「すみません」という言葉を述べることはなかった、というのである。
ところがこの基本が1980年代から90年代にかけて、かなり変わってきたという。
>>2以降に続く

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