07/04/24 21:09:10
【コラム】韓国には「人間教育」が欠けている(上)(下)
米国特派員だった70年代、苦労して韓国から米国に移住してきた人々に、「なぜ移民したのか」と尋ねると、
答えは十中八九、子どもたちに質の高い教育を受けさせるためというものだった。
国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(IBRD)といった国際機関が、韓国経済が発達した要因として
旺盛な教育熱を指摘するほど、韓国の保護者たちは国内にいようと、海外にいようと、子どもの教育に
すべてを賭けるような姿勢で臨む。そこに共通しているのは、「自分たちは満足に教育を受けられず、
その結果裕福になることができなかったが、お前たちはしっかり勉強して、その恨みを晴らしてほしい」
という思いだ。しかしわれわれが身の回りで目にするのは、必ずしもそうした姿勢が実を結んだケース
ばかりではない。
移民者たちの多くは、子どもたちを米国の学校に通わせさえすれば、すべてが解決すると考えていた。
労働者として移民した彼らのほとんどは、英語を満足に話せなかったため、子どもの教師に会って話を
することもはばかられた。意思疎通できたとしても、移民の身分では生活に追われ、PTAなどの活動に
参加する余裕がなかった。子どもたちは親と一緒にいられる時間が少なく、自然と家庭の外で過ごすことが
多かった。また彼らは通常低所得者の集まる地域に住んでいたため、学校にも不良生徒が少なくなく、
教育環境は決してよいとは言えなかった。
もちろんすべてがそうだ言わないが、移民者の子どもたちの中には、こうして周囲から適切な刺激を
得ることができず、人生に大きな意味を見いだすこともなく、共同体意識が欠如したまま、社会の陰の
部分に引き寄せられる例も少なくなかった。結局、子どもの教育のことを思って移民したにもかかわらず、
子どもをだめにしてしまう結果となるケースも多かった。
バージニア工科大で32人を殺害した銃乱射事件の容疑者チョ・スンヒのケースも、個人的な精神障害が
原因ではあったとされるものの、広い意味では移民労働者の子どもたちがたどってきた負のコースの果ての
極端な例だと見ることができる。チョ容疑者が仰ぎ見ていた「世の中」とは、せいぜいベンツやウオツカに
コニャック、ダイヤモンドが象徴するものだった。世の中には大学に行けない人のほうが多いという認識も、
チョ容疑者にはなかったのかもしれない。それこそが彼の受けてきた人間教育の限界であり、その限界が
持つ負の部分が結局、こうした事件となって噴出したといえる。
ここにわれわれは貧富の差がもたらす冷酷な現実を見る。国内の韓国人がアメリカンドリームを実現した
在米韓国人の1.5世や2世を誇らしく思うその瞬間にも、米国社会の底辺には、それとは正反対の在米韓国人
が存在している。
>>2以降に続く
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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