07/04/15 00:10:54
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AP通信が13日報道した韓国戦争(朝鮮戦争)当時、米軍による民間人集団虐殺事件は、釜
山日報や生残者証言などを通じて先に報じられた内容だが、米メディアが韓国戦争関連文
書を通じて直接確認したという点に意味がある。
米軍の避難民に対する虐殺は、当時、在韓米大使が本国国務部に避難民の中に人民軍スパ
イたちが隠れていると避難民に対する射撃を承認して実行された。AP通信は1999年老斤里
事件(ノグンリ)虐殺事件を外国メディアでは初めて報道して、翌年ピューリッツァ賞を
受けた事がある。
AP通信が代表的な集団虐殺事件5件の実像を報道した。
(後略)
ソース:(韓国語)
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機密扱いを解かれた文書と目撃者の証言によって、半世紀前の米軍による韓国の難民殺害
事件が秘密のベールを脱ぎ始めた。振り返ってみよう。
1950年7月25日 ― 朝鮮戦争の第五週―在韓米大使がワシントンに送った機密扱いの手紙に
よると米韓会議は潜入者から守るため、米前線に接近している難民を撃つ方針を
決めた。
1950年7月26~29日-アメリカ軍用機と地上部隊は、老斤里で難民を殺す。生存者は死者が
400人と推定する。
1950年8月-1951年4月 ― 大佐及び将軍からの秘密命令が継続しており、米軍部隊は前線に
接近した難民を射撃するよう指示されていた。
1953年-休戦により朝鮮戦争が終わる。
1953~1980年代-韓国の警察国家では、老斤里及びその他の殺害の犠牲者は、脅されて沈
黙させられる。殺害は歴史から隠蔽される。
1994年-韓国が民主化されるにつれ、老斤里生存者は米政府当局へ調査、謝罪、補償を求
める多数の嘆願書の最初の申請を行う。全ては無視される。
1997~98年-生存者、米韓補償委員会に申請。米軍は、その軍隊が老斤里地域にいなかっ
たと反論。申請は、専門的事項の上で忘れ去られる。
1999年-AP通信、老斤里殺害事件を確認したと報告。生存者を支援する12人以上の元
兵士を紹介する。
1999年~現在-韓国人は、米軍による大規模な難民殺害の60以上の事件について、韓国政
府とともに批判している。
2001年-調査後、米陸軍は前言を翻して、老斤里殺害は起きたと認めるが、「計画的殺害
ではない」と主張。この報告は、難民を撃てという命令パターンを示す退役軍人の
証言及び機密扱いを解かれた文書の存在を明らかにしていない。後に証拠がAP通信
によって発見される。
2006年-歴史学者Sahr Conway-Lanzは、接近する難民に発砲する政策決定を報告した国務
省への米大使の1950年の手紙について書いた本を出版する。
2007年-軍は1999~2001年の調査者が大使の手紙を再吟味したことを認めたが、最終報告
では手紙に言及しないことを決定した。
ソース:Boston Globe(英語)Shedding light on Korean War's secrets By The Associated Press
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