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1973年に母親とともに東京都内で失踪した高敬美さん(当時6)と高剛ちゃん(同3)の事件は、
北朝鮮による拉致問題の深刻さを改めて印象づけている。日本の捜査当局は、母親の渡辺秀子
さん(当時32)はすでに殺害されたものと見ている。行方不明の父親・高大基さんは北朝鮮の工
作員と半ば断定しているが、高さんがかつて朝鮮総連の中堅幹部であったことが、統一日報の取
材で明らかになった。
高さんは1920年代後半生まれの在日朝鮮人。生存しているなら80歳に近い。
九州大学に在籍したことのあるインテリで、朝鮮総連の傘下にある朝鮮問題研究所(52年10月創
立)で金炳植所長(当時、総連第一副議長)の部下だった。この研究所は『月刊朝鮮資料』という冊
子を発行していて、北朝鮮の政策・路線の宣伝誌の役割を果たしていた(99年休刊)。
子供たちの母親、渡辺秀子さんとは、60年代後半に結婚したが、73年6月頃、夫の高さんは行方
不明となった。渡辺さんは、夫の勤務先だった東京・品川の貿易会社、ユニバーサルトレーディング
(株)の近くに住まいを移しながら、夫を探していたという。
この会社もまた、高さんの上司、金炳植総連第一副議長が設立。高さんは第一副議長の部下として
仕事に就いていた。金炳植氏は、総連の内部闘争で名高い、いわゆる「金炳植事件」で平壌に召還
され、在日社会での基盤を失った。北では副首相の地位に就き、99年に死亡している。
高さんの行方不明は金炳植の平壌召還と関係があるのでないかと見る総連活動家の証言もある。
金炳植氏に信頼されていた高さんは、密命を帯びて北に帰国せざるを得なかったのだという。日本に
戻れなくなった高さんは子どもを呼び寄せたが、渡辺さんは何らかの事情で北朝鮮に渡れなかったの
でないかと、元総連活動家たちは推測している。
ソース:統一日報
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