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盗人たけだけしい米国
「特殊慰安施設協会(RAA)」
こうした施設は実際に占領軍による暴行事件を大きく防ぐ効果があったとされ*1、
また占領軍兵士からも好評であったことから急速にその数が拡大され、
全国約二十の地方都市にも広まったという。
1946年3月10日、GHQは占領軍内に性病が蔓延しているとの理由で将兵たちに
RAA施設への立入り禁止令を発し、政府も1946年3月26日、全国警察所長宛てに
「進駐軍の待合、 接待所、慰安所地域立入禁止ニ関スル内務省保安部長通牒」
を発令した。だが、RAAが最終的に解散したのは1949年4月であった。
*1:RAAが存在していた期間の一日平均の日本人女性に対する強姦・暴行件数は
約四○件、翌年RAAが閉鎖されて以降は一日平均三三〇件に上ったという。
参考資料 『売娼の社会史』 吉見周子, 雄山閣