07/04/03 19:42:10
金日成の独裁体制確立は自力? それとも他力?
北朝鮮の金日成(キム・イルソン、 1912~94年)は、どのようにしてあれほどの長期にわたる強固な
独裁体制を築き、影響力を発揮することができたのだろうか。現在まで多くの研究者らは、金日成一派が
自ら権力を掌握したとする「自力革命発展論」を提示していた。例えば、東京大の和田春樹名誉教授は、
「遊撃隊国家論」という概念を用いることで、金日成のパルチザン派が競争勢力を除去し、権力の
ヘゲモニーを掌握することができたと主張した。
しかし、統一研究院が2002年から3年間にわたり体系的に収集した海外の北朝鮮資料からは、こうした通説
とはまったく異なる話が次々に発見された。統一研究院の徐載鎮(ソ・ジェジン)先任研究委員は、
ソ連の軍政にかかわった重要な生存者らの証言をもとに執筆した論文「抗日武装闘争とソ連による金日成
首領体制の形成」を、『海外資料で見る北朝鮮体制の形成と発展Ⅰ』(ソンイン刊)に最近寄稿した。
その要旨は「金日成の一党独裁と個人崇拝は、ソ連の企画作品だった」というものだ。
1945年の光復(日本支配からの解放)当時、ソ連は北朝鮮に親ソ政権を樹立しようとしたが、北朝鮮は
東ヨーロッパとは異なり、現地の共産主義者がほとんど存在しなかった。そのため、ソ連内の朝鮮人らを
大挙移住させるのと同時に、金日成を最高指導者に抜擢(ばってき)した。45年9月初め、金日成を直接
面接し、「合格」とした人物はあのスターリンだった。
そして、指導者としての地位を固めるため、ソ連はスターリンをまねた金日成の個人崇拝政策を政権初期
から推し進めた。46年2月、金日成が北朝鮮臨時人民委員会の委員長に就任した際には「朝鮮人民の英雄」
と称賛し、48年9月に北朝鮮政権が樹立すると「首領」の称号を用い、52年の40歳の誕生日には「元帥」の
称号を用いた。
北朝鮮内の「ソ連派」だったチョン・サンジン氏(86)は「当時、ソ連派がソ連大使館に行けば、必ず
“金日成をしっかりと支えよ”との指示を受けた」と証言した。また、北朝鮮に進駐したソ連軍第25軍の
政治司令官を務めたレベジェフは、当時北朝鮮の報道機関を掌握したソ連軍政にとって、「金日成を
抗日闘争での民族の英雄に仕立てることが緊急課題だった」と証言した。
その徹底ぶりは、放送開始と終了の際、必ず「金日成将軍の歌」を流すほどだったという。
徐載鎮委員は「今日の北朝鮮の個人崇拝、独裁体制の根幹はソ連が作ったもの」と指摘した。
「独裁者金日成」と抗日パルチザン勢力をすべてソ連が作り上げ、親ソ政権に権力の正当性を与えるため
「抗日武装闘争」という民族解放の論理を作り出したというのだ。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
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