07/04/02 06:07:08
キトラ「玄武」は中国伝来?
江蘇省の古墳に構図が酷似の絵、高句麗モデル説に一石
奈良県明日香村にあるキトラ古墳(7世紀末‐8世紀初め)の石室に描かれた四神図「玄武」が、
中国・長江流域の東晋(4世紀ごろ)の古墳で見つかったレリーフとよく似ていることが1日、
奈良文化財研究所飛鳥資料館の加藤真二主任研究員の調査で分かった。
これまでキトラ壁画のモデルは高句麗説が有力だったが、より古い中国説が浮上したことで
被葬者像にも影響しそうだ。
キトラ古墳や高句麗の玄武図はカメに巻き付くヘビが一重だが、同時期の中国(唐)では
ヘビが二重、三重に巻き付く新しい構図が主流だった。
このため加藤主任研究員は「中国から見れば、当時の日本や高句麗は辺境地域。
情報が届くには時間差があり、約300年も古い東晋時代の玄武図が描かれ続けたのでは」
と推測している。
玄武図のレリーフがあったのは、中国江蘇省鎮江市の鎮江東晋画像磚(せん)墓。
加藤主任研究員によると、カメの甲羅に絡まるヘビが一重で、ヘビの胴体を輪のように
描いていることなどキトラ古墳とそっくりだった。描き方の特徴から、高句麗の壁画古墳に
ある玄武図より古いという。
画像磚墓は1972年発見。れんが状の焼き物「磚」に玄武図や、「隆安2(398)年に
この墓を作った」という文章が記されていた。
伝来ルートの検証を
百橋明穂・神戸大教授(美術史)の話
中国・東晋時代の古墳とキトラ古墳には約300年の隔たりがあり、伝来ルートの検証が必要だ。
途中には当然、朝鮮半島の百済を介したルートが考えられる。四神図はワンセットで
伝わったと考えるのが自然なので、青竜、白虎、朱雀(すざく)も似ているのか調べる必要がある。
西日本新聞 URLリンク(www.nishinippon.co.jp)